態変の東京公演はここへ来る一週間前に決まったところ。
態変の東京公演は12年ぶりの登場となる。もう、東京公演は出来ないか、と実は思っていた。態変が自主運営へ切り替えざるを得なくなり、本拠地大阪での公演を打つこと自体が奇跡的な一期一会という状態になっていたからだ。しかし一作一作を大切に作り上げ、お陰で打つことのできた公演の作品は好評を得てきた。その延長線上で今回ようやく東京12年目の態変公演を、いつか出会うことがあればと思っていたここ座・高円寺で行うことになり、何かの大きな縁にしたいと思っている。
創設から32年になる劇団態変は身障者だけで行う舞台身体表現としてあり、その方法は台詞は使わず身障者の身体だけで行う一風変わった表現で、言葉で説明しても想像には困難が伴うだろうが、身障者の体にピッタリと着くレオタードという衣装、普通はダンス稽古着に用いられる物を身に着け、車イスといった自助具は身に付けず、身障者の身体のみで重度の寝た切り姿勢の者は寝姿勢で座りは座ったままで、身障のその有り様を活かしストーリー性であったり抽象性であったりの作品を舞台で展開する。
マスコミ人の中にも「態変と聞くと、身障の体を露わに見せるものは、どうも、それだけは見たくない」という意見がある、と漏れ聞こえてくるが、最初は身障者というのが気になっても舞台を観ている内に、そういうことはどうでもよく唯表現として思わず引き込まれていた、という意見が多いので実際に観て欲しいと思う。そうすれば、きっと凄い経験をしてもらえる筈。
私は劇団を主宰し芸術監督も作・演出も演者として出演もしている。
私は在日コリアンで身障者だ。最近の日本の右傾化、ヘイトスピーチが街に溢れる情勢にあっては、邪魔な存在、臭い物には蓋とばかりに隠し、もっと端的にはガス室に送られ殺される存在であるというリアリティーを持っている。このことは現代社会が今、人間を勝ち組負け組の価値観だけで生きていいかどうかを決められる閉塞した不穏な空気の蔓延で、自分は一般だと思っている人々の間にも息苦しい生き難さとして覆い被さっている、このことは確かだろう。
今回の公演『ルンタ(風の馬)〜いい風よ吹け〜』は、昨年10月に大阪で公演したものを再演する。チベット仏教の「死者の書」に強くイメージを受け、今ある消費文明物質文明への批判を、もうひとつの価値の提示として、態変の身体表現で行ないたいと思ってできた作品だ。チベットの、死者とともにある生き方、から学ぶというテーマは、福島や東北の死と地続きのものでもある。
人間の価値観や美意識を根底から転覆する可能性を持つ態変の身体表現とこのテーマ性のドッキングは、今、東京でこそ提示すべきものだと思う。今東京は揺れていると思う。その東京でやる意味がある。
更に、今回は、エキストラとして関東の身障者たちをオーディションし選びたいと考えている。多くの身障者たちが態変の舞台へ海のように押し寄せ、命のいろんな有り様が溢れかえるダイナミズムを表現する、そういうシーンを担ってもらいたいと考えている。
きっと舞台での演劇の果たす、観る方にも演じる方にも起こる大事件として、人間存在を根底から一瞬にして変えてしまうダイナミックで活き活きした命が伝わるのは間違いないので、是非注目をお願いする。