劇団態変東京応援団・第1回会合の報告

2015年4月7日 11:00〜13:00 町田市某所

参加:関根善一さん、長井八美さん、大塚惠子さん、坂部明浩さん、エキストラ応募に興味のある2人、そして劇団態変から金滿里、和田佳子

冒頭、金滿里から
「劇場を障碍者の海にしたい。今の東京でこういうことをやるのは事件というよりも、革命なのだ。見る方も演じる方も、価値観の変化に気づく、壮大なプロジェクトである。」

続いて、参加者の自己紹介。
関根さん(1991年「銀河叛乱'91」からケニア公演、98年欧州ツアーまで役者として参加)からは、態変に出演した時の、いかに無茶をやったか。それがいかに楽しかったか、ということが語られる。昔はただ歩くだけの姿を見せていた(自分のこのゆがんだ足を見ろ!と思いながら見せつけた)、それがだんだん演技を要求されるようになった。エジンバラでは、「役者は舞台で死ね。黒子は死ぬな。」と金さんに言われたエピソードを披露。
坂部さん:花田春兆さんの介護などしつつ自分でも文章執筆をしている。態変は「天にもぐり、地にのぼる」から観始めた。
大塚さん:言語学者。元東京造形大学教授。「異質なものがぶつかりあう」ということに興味を持っている。若い人達に「態変東京公演」の情報を伝える機会があると思う。
長井さん:劇団青い鳥の制作。劇団態変旗揚げの頃からのつきあい。東京チケットの窓口になれる。
Kさん:脳性麻痺。エキストラ希望。「抱きしめたい」東京公演でエキストラ出演歴がある。役者になりたかったが、重度化してきてだめだった。今は食いぶちを稼ぎながら、芸術ということにはずっと興味をもっている。「やります」と、とにかく強い意志を表示された。
Kさん:エキストラ希望。あまり障害者とのつながりが今はないが、車いすサッカーをやっていたときに、障害ということへの意識の違いを感じていた。個人でなんでもできる(バスに乗らなくても、リフト乗用車を個人でもってたりする)ので、自分の世代は刺激を受けていない人が多いのではないか…。

以下、ディスカッションの概要:
:  障碍者のオーディションというのは、ひとつの花。マスコミは注目するだろう。
関根: 今障害者は、社会の受け入れの制度が整ったため、却って、出て行く事に関してのハングリーさを失っている面があり、声かけても昔とは状況が違う。まずは、「自分はやるのだ、という主体性を持った人を集めたい。施設は、重度すぎる人がほとんど。まずは口コミ、知り合いの知り合い、とかで広げたい。
:  態変は、行政をあてにせずやることに決めた。いつも断崖絶壁で、背水の陣、くるならこい、の覚悟。観客動員は1000人呼びたいと思っている。エキストラは日替わりになってしまってもいいと思っている。経験する、ということを大事にしたい。
関根: 生きる、ということの「底力」を見せたい。どん底に落とされたときに、どこまで力を出せるか?それは落とされないとわからない。そういうどん底の経験している障害者は今は少ない。安心させられてるけれども、優しい言葉でえぐいこと言っている。そういう危機感を感じたときに、いい演技が出る…。
:  身体性を奪われている。自分の身体を使って、思いっきり何かやる、ということがかっこわるいと思われている。でも、やってみたら楽しい、ということを感じてほしい。
関根: 製作側にとって1年は短いかもしれないが、待っている方には長すぎる。モチベーション切れないように、あいまあいまで何かすることが大事。例えば、「ルンタ」映像見る会、などやろう。
:  集めるエキストラの障害は、身体障碍に限りたい。がやってみないとわからないこともある。以前の取り組みで、エキストラ出演してくれた知的障害の人が舞台で演技をやって、その人の演技が終わってもはけてこない、ということがあった。「演技が終わって、幕がとじて、それで舞台が終わるのです」ということを教えていたら、その人が、「舞台から降りたくない、もう施設には帰りたくない」と言って降りてこないということがあった。そうやって、施設から引っ張ってきた人を、自立生活までつなげる、ということができなくてもいいと思う。そうやって、一回でも尊厳がわかった人の死に方は違うと思う。無念のまま死んでいった障害者も多いし、福島や震災でなくなった人の無念、というものもある。そういうたくさんの死者の思いをひっくるめて、「死者の書」のルンタをやりたい。

決定事項:


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