はじめに
実は、この最終公演を見る前から原稿のタイトル案も決め、内容も少しずつ書き始めていた。しかし、「記憶の森」を観、観劇者の声を聞いた後、タイトルも内容もやっぱりまるっきり変えようと思った。この態変プロジェクトがマレーシアに与えた本当の意味、それを書きたいと思った。それがこのタイトルだ。
公演後話を聞いた地元の友人がこういった。『最初立ち上がろうとしてはバランスを崩して転びそうになる演者を見て、そこまで見せなくてもいいだろうと思った。でも、1時間、この独特な身体表現を観ていると、これがとっても美しく思えてきたんだ』。そして、カーテンコールで堂々と誇らしげに笑顔で挨拶する一人一人の出演者と、それに対して割れんばかりの拍手をしている観劇者を見ていると、彼らがこのプロジェクトを通して何を得たのかが良く分かる。多分、この言葉とこの態度に、態変プロジェクトの意味が凝縮されているのではないだろうか。
人間は非論理的な生き物だという。「美」という感覚・感性そのものに問いかけるこのプロジェクトは、「障害」という意味も含めて、観る人の価値観全体を揺さぶったのではないだろうか。態変を「障害」文化という枠組みで捉えていいかどうかは論の分かれるところだろうが、このプロジェクトはマレーシアにおいて、既存の「美」の意味、「障害」の意味、そして、それらをひっくるめた人間の価値観そのものに、静かに、しかし深く突き刺さる挑戦状を突きつけた。
「Malaysia Truly Asia(マレーシア 本当にアジア)」。マレーシア観光の宣伝文句である。マレー系、中国系、インド系、そして多くの先住民族がそれぞれの言語と宗教、そして慣習と価値観を維持しつつ共存しているマレーシアは文字通りアジア的混沌の国といえる。
一方で、喧騒という形容詞がマレーシアは似合わない。首都のクアラ・ルンプールは日本の地方都市よりも整備され、経済的にもアセアン域内ではシンガポールに次いで発展し、ほとんどの先進諸国はこの国に対する経済援助を終了している。インドやバングラディシュなど南アジアの国々のように過大な人口を抱え、多くの人々が他人を押しのけないと生きていけない貧困状況にあるわけでもなく、インドネシアやフィリピンのように学生運動や社会運動が盛んなわけでもない。よくいえば、のどかともいえる社会である。
そのような混沌と静寂の中に垂らされた態変プロジェクトという一滴の存在が、マレーシアの障害という状況にどういう影響を与えたのか、それを考えるのは長年マレーシアの障害(者)問題に関わってきた私自身にはとても興味深い。
私は芸術側の人間ではないので、ここでは障害という視点から、この「マレーシアに態変をつくる」というプロジェクト、つまり、金満里とマレーシアの障害者との協働作業の営み・過程がどういう意味を持ち、どのような影響を与えたのかを、マレーシアの障害をめぐる状況をまとめつつ考えてみたい。
マレーシアの障害を巡る状況
実際にこの目で見てきた過去16年間、障害者の置かれている状況は改善されてきている面も多々あるものの、障害者の権利保障という基本的な課題はなお大きな課題としてある。
マレーシアの人口はおよそ2500万人であるが、うち政府登録している障害者は13万人で人口の0.5%に過ぎない。これは国連の推計数(4.9%)よりもはるかに少なく、未だ多くの障害者が適切な支援を受けていない可能性を示唆している。
マレーシアにはまだ障害者の権利を包括的に保障する法律もなく、日本のような障害者年金制度などもない。多くの障害者の生活は家族によって支えられている。教育機会や雇用の機会の保障もない。街を歩けば、バリアだらけでとても障害者が自由に出歩けるものではない。
マレーシアの障害者福祉政策の基本的枠組みは、障害者を機能的に回復せしめ既存の社会に復帰させるという「障害の医学モデル」に根ざしており、その中では、機能的に〃健常者〃になれない重度障害者は、社会参加の制約を自己の機能制限による当然の結果として受け入れることを強要されている。だからこそ、差異がある(とみなされる)人々を排除する社会(構造)こそが障害であるとする「障害の社会モデル」、もしくは日本の「青い芝の会」に代表されるような「差異派」の枠組みと理念を共にする態変のプロジェクトは、この「障害の医学モデル」を乗り越える新しい地平を提示したのだと思う。
態変プロジェクトの意味
日本においても態変のような集団がまだ稀有な存在であるように、マレーシアでも、障害者の芸術は「(障害者)“でも” “健全者”のようにできる」というものが主流で、「(障害者)“だからこそ”」ではない。芸術に限らず、手工芸品も「障害者“の”」という注釈が必ずつく。その芸術性や作品の質ではなく、障害者“の”ものだから、慈善という判断基準を適応してくださいと懇願しているようなものである。
また、マレーシアでもろう者によるろう文化という主張は、強制的な口話教育への反発と手話の言語としての認知を求める動きと共にろう者に共有されつつある。しかし、他の障害者集団からは障害文化という主張は見られない。
マレー語の障害者の意味は「能力の低い人」である。これは全人的に能力が低いことを意味し、障害者に対する偏見や差別は根強い。例えば、身体障害者が知的障害も併せ持っているという認識は非常に一般的な障害者理解である。そのような状況の中で障害者個人が自立と社会参加のためにとってきた戦略は、機能的差異の存在は認めつつも「自分は〃健常者〃と同じであり障害者ではない」という自己の障害者というアイデンティティの否定である。障害(者)という価値の正への転換という集団としての戦略も、既存の障害者集団によっては取り組まれてはいない。既存の障害当事者団体も障害が軽度で機能的に“できる”障害者が中心になっており、自己の障害者(性)を否定している障害者が多い。そこには、青い芝の会の行動要綱が述べる“健全者文明”の批判・脱却という思想の萌芽はない。
だからこそ、重度障害者と共に「マレーシアに態変をつくる」プロジェクトの意味が見えてくる。
最終公演を見た後話をした他の観客やプロジェクト参加者の声として、また私自身も確信したこの態変プロジェクトの最も重要な意味は、一言で言えば、価値観の揺さぶりだろう。
冒頭で引用したものと同様な観劇者の感想は少なくなかった。知り合いの福祉関係者なども多数きていたが、「障害者〃なのに〃がんばった」的な感想は驚くべきほどに少なかった。対照的に、「美しい」と、それを芸術として純粋に感じた感想が多かった。マレーシアでも、色々な催しで障害者が踊りなどを発表することが多い。しかし、それを主催する側も観る側も、それを芸術としては位置づけず、それらに対する賞賛は「美しい」ではなく「がんばった」である。芸術としてではなく、福祉という枠組みでそれらを捉えている証拠だろう。
福祉とはまったく関係のない観劇者ももちろん多く、「良かった」という感想が多かった。『何がどうよかったのか?』と問い詰めて行くと、『こんなの見たことないから』『新しいから』という答えもあった中で、答えに窮する人も少なくなかった。でも、私は、この簡単に言葉にできていない人たちの中にこそ、大きな変革がその人の中で起こっているのだと感じる。
表現芸術というもの全てがそうなのかもしれないが、態変のそれは、答えではなく、考えるきっかけを私たちに与えてくれた。何がどう良いのか、それを簡単に言葉にできないというのは、今までの価値観では簡単に捉えきれない衝撃を受けたということなのではないだろうか。
私の仕事はマレーシア政府において、現状の政策の課題を論理的に明らかにし、障害の制度的な取り組みをより「障害の社会モデル」に根ざしたものへと転換させることである。多分に「左脳的」な取り組みであるのに対して、態変のそれは、芸術を媒介することで直接「美」という全く個人的な値観基準そのものに揺さぶりをかけるという非常に「右脳的」な方法で障害の意味そのものを問いただしている。理詰めではなく感性という人間の本質に直接働きかける分だけ、それは価値観の転換をより強力に迫ったのではないだろうか。
態変のもう一つの意味、エンパワメントについても考えてみたい。もし単に態変が日本から来てマレーシアにこの変革を迫ったのであれば、それは単なる黒船来襲に過ぎなかったであろう。しかし、態変のプロジェクトが違ったのは、それがマレーシアの障害者との協働作業であり、その障害者のエンパワメントを含み、彼らによってその営みが継続される可能性を持っていることだろう。
エンパワメントという言葉は似非シンパや既得権保持障害者によって都合の良いように解釈され既に手垢にまみれている感もある。しかし、態変が協働したのは、障害者の中でもより辺縁に押しやられ、障害者という集団の中においてさえ声を発することを遮られていきた重度の脳性まひ者や女性障害者である。障害者集団の中でも当事者としての表現が制限され認められてこなかった障害者たちが、このプロジェクトでは “健常者”の価値観を揺さぶる強力で雄弁な表現者となった。彼らから、自分を肯定し、障害者(性)=差異を肯定する声が聞けたのは、彼ら自身の価値観の転換が確固たるものであることを物語っている。これこそがエンパワメントなのであろう。
私は幸運にも、本特集にも掲載されている金さんと演者の一人であるマリヤニさんのインタビュに同席することができた。そこで語られた彼女のこれまでの人生とこの態変プロジェクトが与えた影響はまさしくこのエンパワメントの過程を物語っていた。彼女はここに参加した9名全ての障害者の経験を代弁している。なんとしてでもこの表現活動を続けたいという彼女たちの意思の表明は、彼女たち自身がエンパワーされた証拠でもある。しかし同時に、今度は彼らが他の障害者をエンパワメントしていくんだという意思の表明とも、私は受け取っている。
態変は安直な障害啓発ではなく芸術を指向していることはわかっている。しかし、その結果として、障害をめぐる人々の価値観を揺さぶり、表現者として障害者のエンパワメントがなされたということは、その芸術性を決して損ねるものではないだろう。
9人のマレーシアの「種」たちがこれからどう育つのか、楽しみで仕方がない。
くのけんじ 国際協力機構・専門家(障害者福祉)日本福祉大学COE客員研究員。1991年よりNGOや国際協力機構の専門家などとしてマレーシアやインドネシアで障害分野に携わる。主著:『障がいってなあに』、『障害者自身が指導する権利・平等と差別を学ぶ研修ガイド』(共に翻訳)、『障害者の社会開発』(共著)(全て明石書店)など