情報誌IMAJU vol.39
特集「マレーシアで態変が狼煙を挙げた」

黒子が肌身に感じた現場の熱気
祖堅 加奈枝

 

 

 私と態変との出会いは、2003年に行われた態変沖縄公演『マハラバ伝説』で、現地黒子として参加したことがきっかけです。高校生であった私にとって態変との出会いはとても衝撃的で、忘れることのできないものとなっています。その後、金さんの『ウリ・オモニ』公演にも黒子として参加させていただき、今回は実に4年ぶりの黒子となりました。

 2月中旬に川喜多さんから電話をいただき、今回のマレーシア行きの誘いを受けました。こんなチャンスは滅多にないと思い快く引き受けたのですが、出発が近づくにつれ不安と緊張で押しつぶされそうになっていたのを今でも思い出します。

 

 初めの一週間はマレーシアの状況を把握するのが精一杯で、私がどう関わっていって良いのかも分からず戸惑いの連続でした。まず私は、現地の役者や黒子との関係作りからスタートしなければなりませんでした。突然現れた私にもかかわらず彼らは〃日本の黒子〃というだけで、目を輝かせ期待の眼差しで私のことを見ていました。私は自分の黒子という役割に自信が持てず、期待されることが怖かったので、自ら進んでやることができなくなっていました。しかし経験ではなく、マレーシアの黒子たちと共に作り上げることが大切だとわかり、積極的に関わろうと決心したのです! 知っていることは出来るだけ共有し、アドバイスをしたり、受けたりしながら黒子の動きをより良いものにしようと心がけました。また英語で思いを伝えることが上手くできずに悔しい思いもたくさんしました。しかし日々の稽古の積み重ねで、お互いが理解し合えるようになり、冗談を言って笑い合える関係を作ることができたと感じています。

 本番までに何度か黒子ワークショップを行い、黒子集めや幕介錯の練習、場転の稽古など、参加した黒子がそれぞれにアイディアを出し合いよりスムーズに美しい動きが出来るようになっていきました。一つの舞台を作るために、皆が知恵を出し合い、共に苦労し共に全力で頑張ったからこそ素晴らしいものができたのだと振り返ります。

 

 稽古中の様子としては、初めのうちはまだ自分の力を十分に発揮できていない感じだった役者陣が、日を追うごとに動きに変化が出てきて、プロという意識が芽生え、見事に成長していきました。それに刺激されるように黒子陣にも変化が起こったのです。本番直前にも関わらず、人数が確定されていない、簡単に稽古を休むという状況がありました。私たちはこの状況に大きな不安を感じていました。本当に本番を迎えることができるのだろうか。そして全員が本番に参加するのだろうか…。マレーシア黒子は直前までボランティア感覚が抜けず、態変の一員であるという自覚を持つことが出来ていませんでした。たぶんそれは、ほとんどの黒子が障害者との関わりを持つこと自体が初めてで、役者と黒子という関係を理解できなかったのだと思います。

 そんな黒子陣に対し、リーダーであるナラとロナは対照的な反応を示していました。インド系のナラはどんなときでも皆を受け止め、大らかに包んでいました。そして中華系のロナは自分の不満や焦りからくる怒りを露にすることもありました。この両極のキャラクターが車の両輪となってすべてを良い方向に牽引していった面があると思います。多民族・多言語社会であるマレーシアの底力はこういうところにあるのかもしれません。

 いろいろあった黒子陣も本番を迎える頃には、見た目を意識しての幕介錯や役者としての障害者との関わり方など、一人一人が意識することで立派な黒子へと変わっていったのでした。特に変化が見うけられたのは、ゲネが終わった後からでした。バックステージのライチャンや衣装担当のグレースが自分の仕事はもちろん、他の仕事も進んで行うようになり、日本黒子の指示を仰ぐようになっていました。また他の黒子もステージの整備や食事介助など状況に応じて動いていました。今回の黒子は、下は十代から上は五十代まで実に幅広い年齢層が参加していました。この幅広い年齢層がお互いを刺激しあい、黒子としての意識を高めるきっかけになったのだと思います。世代が違えば、見える視点も違うので、それぞれの世代が特徴を生かした動きをしていたと思います。そのおかげで役者との関わりもベストな関係となったのではないでしょうか。

 

 本番を迎えたメンバーは、初日よりは二日目、二日目よりは楽日と表情がプロらしく変化していました。楽日は今日が最後なんだ… と皆、朝から少し暗い表情になっていました。開演直前には舞台袖で役者と黒子が抱き合ったり、握手をしたりして公演の成功を誓い合っていました。終わった後のメンバーの表情は達成感が溢れていました。役者が自信を持ってステージ裏に帰ってこられる。これはマレー社会に態変が受け入れられた証拠だと思います。三回公演を終えての黒子陣は「またこんな企画があれば、私たちが手伝うから」と言っていました。そして別れを前に泣きじゃくっているティアラに対して、「日本の態変メンバーとは今日でお別れだけど、マレーシアには私たちがいるじゃない。」「またいつでも会えるわ」とグレースが言っているのを聞いて感動しました。またライチャンはよく日本に行くので、大阪の態変の公演があればバックステージなら手伝えると言っていました。

 今回のプロジェクトを通して、障害者と健常者という枠を超えて、舞台人としての両者の立場を学ぶことが出来たのではないでしょうか。公演終了後の打ち上げでは、役者も黒子も別れるのが名残惜しくていつまでも帰りたくない雰囲気のままそれぞれ家路に着きました。一ヶ月という長いようで短い時間がそれぞれを成長させてくれました。今回のメンバーがマレーシアで態変を誕生させ、これからも継続的に活動を続けてくれることを期待しています。次回マレーシアを訪問する時は、マレーシア態変の公演を見に行く時だと思っています。


そけんかなえ 沖縄県うるま市勝連出身。沖縄国際大学総合文化学部日本文化学科4年次2005年に交換留学生として韓国、大田市にある『韓南大学校』に1年間留学。語学を中心に異文化理解を体験し、韓国のみならず世界各地の友達との出会いで宗教や文化の違いを身をもって実感。視野を広げる。沖縄では、平和会として「従軍慰安婦」問題・基地問題について勉強。将来は、教育に関わる仕事に就きたいと思い、模索中。

 

 

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