情報誌IMAJU vol.42
報告■金満里ソロ公演東南アジアツアー 整然の街、混沌の街に舞う

混沌のドライブ12時間——極私的ジャカルタ洪水の記録
川喜多綾子

 確かに子供が泳いでいた、ホテルの前の交通量の多い道路が冠水してできた水溜りで。ほほえましくさえ感じていた。だが、甘かった。洪水を、インドネシアをナメていた。

 ジャカルタからシンガポール経由で帰阪するその日、明け方から雨が降り、排水の悪い道路は午前中のうちに冠水してしまった。空港が閉鎖されているという情報が入ったが、夜8時半の便とまだ時間があるし、とにかく空港に向かうことにした。 交通渋滞が予想されたので、早めに出発。昼2時半頃。通常空港までは1時間程度だから、破格の早さだ。そして3名ずつ2組と荷物用の3台の車に軽やかに分乗した。

 空港につながるハイウェイが冠水し閉鎖されており、迂回路をとらざるを得ず、当然通行可能な道には車が集中するので渋滞に巻き込まれる。市バスの中もぎゅうぎゅう詰め。ジャカルタのバスはドアがないので(ちなみに電車も)、痺れを切らした乗客は降りて高速道路を歩き、同じく止まっている一台前のバスに乗り込んでいる。奇妙な行動だが、じっとバスの中で待つよりはマシなのである。

 じりじりと進むうち、私達の車の運転手のおじさんが「えいっ」とある所でハンドルを切り、分かれ道に入っていく。少しの間、車は快調に走り、おじさんもちょっと意気揚々な感じでハンドルを握る。しかし、おそらくここから悪夢が始まる。

 再び渋滞につかまり、そしてこの渋滞は前のとは比較にならない位の凄まじい渋滞だった。辺りは田舎の風景で荒地にバラックが点在し、大きな川の両側の道路にびっちりと車が並んでいる。元々は川ではない。低い土地が洪水で川になったのだ。交差点までたどり着くと、車とバイクと歩行者、小さい子供、大きな荷物などなどがこんがらがっていて、時折生まれる隙間を争うように奪い合っている。車はなかなか前に進ませてもらえない。

 夜になり、飛行機の出発時刻が近くなってきた。分乗したもう一つの班から「空港に着いた」と連絡が入る。定刻で便は出るから早く来い、と。そう言われても、こちらは30分間1ミリも進んでいない状況。なぜだ? そう、さっき運転手のおじさんが颯爽とハンドルを切った時、先行車が指示した道を外れ、まんまと混沌の渦にはまっていったのである。「私達はいいから、先に行ってください」と二流ドラマのようなセリフを普通に口に出し、電話の向こうの金さんは「いや、念力をこめれば来れる」という不可解な励ましをするしかないくらい、どうにかなりそうな気配はなかった。

 数メートル進み、そしてまた30分停止。もういろいろな先の事は諦めることにしようと決め、周りを観察すると、そこは家具職人が暮らす界隈で、柱と屋根だけがあるようなあばら家が軒を連ねている。人影はなく、青白い蛍光灯と奥の部屋でテレビだけが不気味についている。隣の家もその隣もそうだ。すごくシュールな映画の1シーンのようだ。ちょっと先に小さい手押し車の出店が暗闇の中ぽつんとある。裸電球に照らされた台の上には百個くらいのゆでうずら卵(だと思う)が3段に分かれて整列している。その異常な現実感の無さに眩暈がしてきたが、数十分後に数十メートル進んだところにも同じ物を売る出店が現れたので、これが現実であることは間違いない。混沌の街・ジャカルタで、なぜうずら卵だけが整列するのか、私には説明できない。

 運転手のおじさんは携帯電話が鳴るたび、ため息をつき相手に怒られている。電話を切るたび、彼は唯一知る英語「アイム・ソーリー」と言い、私達はとにかくいろんな事を言って励ます。勇敢な音響担当T子さんは商店あばら家に分け入り、揚げせんべいのようなものを買ってきてくれ、運転手のおじさんはポケットから羊羹のようなものを取り出し、皆で分け合って食べた。思いがけない幸せであった。

 数時間かけて前進した先の道もまだ水がひかず閉鎖されていると分かり、また同じだけの時間をかけて、引き返す羽目になった。先の幸福は消え、絶望が舞い戻ってくる。とにかく情報が無い。聞けば人はいろんな事を言うが、どれも本当ではなかった。その先で出くわした交差点は恐ろしい位に混乱している。行き詰っている車はあちこちいろんな方向を向き、怒声とクラクションの嵐が耳をつく。誰かがトラックの荷台から交通整理するも限界の様子で、もう一生このままここで閉じ込められるのではないか、とさえ思えてくる。ああ、もうだめか、インドネシアで暮らすのも悪くないかな、と思いかけた時、おじさんが本領を発揮し始める。混乱には混乱した方法しか効かない。順序良く待っていたって無理なのだ。彼は車の鼻先を無理やり隙間にねじ込み、空港に行かなくちゃいけないんだと悲壮な叫び声で周囲の同情をひき、私達もとても困ってますの表情を浮かべて援護し、その隙にできた10センチくらいの空間に再び車をねじ込んで、これを何度も繰り返して、ようやく抜け出した。

 それがクライマックスだった。車は走り出した。ところでここはどこだ? おじさんは出会う人、出会う人に道を尋ね、ようやく眼前に空港のライトが見え歓声を上げた時、時刻はすでに夜中1時を回っていた。搭乗予定だった便は当然待ってくれてはいなかった。忘れ難きジャカルタの夜。


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