情報誌IMAJU vol.42
報告■金満里ソロ公演東南アジアツアー 整然の街、混沌の街に舞う

金満里のページ
ジャカルタの『月下咆哮』

  余りにも至福に充ちた、インドネシア・ジャカルタでの私のソロ作品『月下咆哮』公演。それを書き残すのに有効な言葉を私は見つけられない。しかしその断片でも試みたいと思う。

 少し前置きになるのだが、私達の海外公演は、大きく以下のA・B・C3つの要素がある。
A.介護を受けながらの生活環境の最適化のため、内部組織を整える
B.訪れた国と私達の間の異文化状況を把握する


 このBについて、いつも私が重要視しているものに、一番に、その国の現在と過去の政治状況。そしてマスコミ取材を通して見えてくる国民感情。どのように自分達を受けとめているのかを知るのは楽しみである。
 二番目に、舞台の仕込み・ばらし作業を一緒に遣る、現地ホール技術関係者達との仕事。
 三番目に、それらの先に出会える観客。
 それらのものが折り重なり、高まって、そして本番という舞台へ向かうような条件が整うことが望ましい。それに加えて四番目に、みんなが元気に無事故に帰国の途につき完了、となることも忘れてはならない。

 今回Aに関して先に結論をいうと、これまでの海外公演ツアーの中では初めて、と言える程すこぶる快適に問題もストレスもない状態で過ごせた。
 私は重度障害者だから生活に無くてはならないのは介護であり、舞台で必要なのは黒子だ。ツアーに同行する人員は少なければ少ない程、予算面でもツアー組織の質の面でもリスクは減少する。今回はソロなので、少数精鋭で行けたことも良い結果を生んだ理由の一つである。
 そして何よりも演者は私一人なので、他の劇団員への目配りや気遣いという集団を率いる大きな責任、又マレーシアのような大きな規模のプロジェクトを進めるプレッシャー等も無く、芸術家たる自分の立場最優先で、唯一つそのことに専念すれば良かった。演者の代わりは他にはいないから、と自分自身のことだけに絞る問題の立て方は、シンプルである。スタッフは黒子と介護の両方を兼ねる。介護の遣り方一つが、舞台の完成度にも影響する。生活から気を抜けない、介護をする方もされる方も一緒の運命共同体である。ツアー期間の長短に関わらず、長く感じられ、集中力と体力の勝負で、ハードである。
 特に昨年マレーシアでデング熱という風土病に罹り入院騒ぎを起こした後の初の海外での仕事だけに、二度と同じことは繰り返すまいと打てる手は打ち、スタッフ講習を重ね、心構えと経験を生かそうとする英知と努力の賜物であることを忘れてはならない。

 そして、一番の海外公演の醍醐味に、何をおいても
 C.その国の民に歓迎されるかどうか。
 がある。
 それは単にホールに足を運ぶ観客数だけではなく、天候や事件といった自然現象もその一つであると考え、人知の及ばないいわば「運」に恵まれるかどうか、も含めて楽しんでしまう気持ちだ。

 いよいよ本題!

 2/1(金)、ジャカルタの大洪水に巻き込まれることになった帰国の日。我々は滞在ホテル・アリアチキニの上階にある自室から見える街の様子を時折覗き込むようにして調べていた。
 そして、下を覗いた者は驚きの声を上げる。「子供が泳いでる!」。ホテルの窓は立てる者の姿勢合わせなので、私は見ることはできない。その声を聞いた瞬間、私は〈???〉、意味が取れずそして耳を疑った。
 道路に溢れ出した水は明らかに災害なのだが、それに巻き込まれた子供は、道路に溢れた水に流されているのではなく、即席プールよろしく服のまま泳ぐ遊びに講じている、といった災害をものともせずに道路に溢れた水を好機に転じる才能を発揮しする逞しさなのだ。夜中の明け方近い時間から雨音がし始めた時から、私は嫌な予感がしていた。その後その雨はインドネシア中で猛威をふるい、死者も出すほどの大災害をもたらすものとなった。

 1月26日〜31日までジャカルタに滞在し、ソロ作品『月下咆哮』を公演した。この作品は、インドネシアに古くから伝わる「パンジ・スミラン」という民話を元にしていたので、祖国での初お目見え公演をすることになる。

(まだまだ続く。続きはimaju42号本誌にて)


【閉じる】