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情報誌IMAJU vol.42
クロスオーバー談義

観劇は即・世界知!』 
松本雄吉氏(維新派)×金満里

 

 大阪生まれの世界に発信する劇団、維新派と態変。この「演劇」というワクに納まらない二つの放埓な個性派集団のトップ会談。そんな趣で今回の対談のお相手は維新派の棟梁、松本雄吉さんです。態変が92年ケニアを皮切りに欧州からアジアにと海外公演を重ね、金満里は今年一月にはシンガポールやジャカルタでソロ公演を終えて一息ついたばかり。維新派も2000年アデレード芸術祭に招聘されて以来、多くの海外公演を成功させてこられました。そんな海外経験の豊富な両劇団の役者やそのからだへの目の付け処、集団を率いるトップの芝居への語り口は、自慢話でなく芸術への情熱の炎がチロチロと見え、味わい深い対談になりました。

 

劇団意識と役者育成

金  松本さんとこは、(公演ごとのオーディションがあったりして)「役者は劇団員ですよ」っていうような意識でやってる風には、あまりみえない。

松本 そんなことないよ。劇団意識は強いですよ。

金  あっ、そう?

松本 特にウチの場合は、よそに客演は一切してないんでね。したらあかん言うてないけど、うちは特殊なやり方してるから、日常的な訓練とかも。だからそういう意味では、凄く劇団意識は強いんちがうかなあ。ただね、慣れてくるとね、舞台に対する緊張感とか新鮮味が無くなってくるんで、まあ、それが一番、毎回気をつけてる。

金  そうやね。

松本 毎回々々、やる場所ちがうわ、方法論もぼんぼんぼんぼん新しいこと考えてやるんでね、前使うたような手は無理なんで、まあ、あまり危険なとこには嵌り込んでないかなと思う。今回の『聖・家族』も変なことやってたでしょう?

金  新しい試みでは、身体、だいぶん出してるなあと思ったけどさ。

松本 そうそう。ああいうの、すごい手探りで作ってるから、今までの手練手管でやれないのは、皆解ってるんで。

金  どんどん、そういうものを与えて、慣れんようにしていくというのが、演出としても一つの策。

松本 そうして創るのが一番楽しいことやから。役者は、本番の舞台が一番の稽古場なんでね。それで練っていく時間があったら、絶対、1年間やらしたら、身体も変わるやろうし、生活の仕方もはっきりしてくるし。うちの子も、人にもよるけど、もうアルバイト嫌やって。 言ってみたら、もう一生一日中白塗りでいたい、という(笑) まあ、そうなったら、ステージで稼がな仕方ないからね。そのへんもあって、ある程度は前衛を捨てて、大衆性もないといかんやろう、と。

金  えらい親心やな、前とは違って。意外と役者はかわいく、面倒みてるんや。

松本 というか、僕も役者やってた時があったからね。確かにね、作品創っている時に雑事は嫌や。やっぱり作品づくりに専念したいからね。それは、どういう作品創りかっていうと、僕の要求するんは、普通の生き方してたら稽古場では面白ない。やっぱりね、お金持ちののんびりした人は、ええ映画観れるし、ええ舞台も観とるし、やっぱり引き出し多いんや。観てるもんとか、体験しとるもんとかね、貧しいとね、本当小さくなってくるから、かわいそうやねん。

金  ほんで?

松本 豊かにしてあげたい。オペラなんかもあんまり行けへんしな。観る贅沢が、若い子はできてない、観る事に貧乏や。食べるためだけにお金使ってるんかなあ。芝居のお客さんともしゃべるけど、「あの映画みた?」とか聞かれて、「あ、それ観たいんですけど観れないです」とかね。だから、引き出しが少ないいうか。その辺のことを考えたるとね、いい役者になるためには、やっぱりライブラリをちょっと増やしてあげたいよね。

金  うーん、そういう目論見が。

松本 こういうことをやってると、勉強する場所というのは本当に難しいですよね。僕の時代なんかは、わりかし、お金ないけど、ポンとそばにいいものがあった記憶がある。例えば、横でサルトル議論してる奴がおったりね。それを横耳で聞いとって、頭に入ってきて、それを体験したような。まあ擬似的やけどね。黒澤映画も、全部観てる訳じゃないけど、1本くらいはちゃんと観とって、だいたい何かこうわかったようなつもりになるとか。今の若い子は、いいものとの出会いがない。全部テレビやね。

金  なるほど。だから、意外と、その育てるというような感覚で。松本さんが組織って言う意識で維新派をやっているようには、今まで見えなかったんで、意外な話やわ。

 

プールするもの

松本 もう40年もやってたら、いろいろ考えてます。

金  40年やってきて、やっぱり垢がついたとかさ、これが秘訣やったとかは?

松本 秘訣じゃなくて、劇団じゃないと創れないものがあるしね。劇団ゆえに実験的なことがやれる場所がある。プロデュース公演だと、そういうのはなかなかできない。例えば、今年実験的な事をやってて、これが劇団続けとったら、3年くらい後の作品に生きてくるとかね。うちの場合、ほとんどそうね。今やった事、次すぐには行かんから。もう即挫折。それが忘れた頃に、あれは、こんなんやったけど、今もう1回やったら面白くなるかな、とかね。たまたま季節柄が合ったりとか。作曲がミスマッチやったんが、よくなったりね。それってやっぱり劇団じゃないとできないよね。そういうのが意外とプール出来とって、皆覚えとってくれて。集団が持続する事によって、もう1回倉庫から出してこようや、みたいな感じのこと。素材的に置いておけるのは、劇団という倉庫がないと無理やね。

金  その劇団の出来てきているプールって、知恵なのか、人なのか。

松本 口で言えるようなことやったら、僕のワープロに入れとったらええけど、そうやなくて、皆のからだに残っている部分やないとあかん。あの時のあんな感じ、という言葉にしにくいもの。記憶しているからだがおらんと。

 (まだまだ続く。つづきは情報誌IMAJU vol.42本誌にて)

 

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