プリーモ・レーヴィ「これが人間か」2

 

 プリーモ・レーヴィ。汽車の中で揺れながら話す(多分テレビ放映の求めに応じ、証言者としてアウシュビッツへ向う汽車の中でのその昔の当時の映像が残っていたのものか、と思われる。)その人。彼を見てしまったときから、彼の表情に釘付けになってしまった。何かただ事ではないと思わせる、生還したとは決して思えないギリギリの鬼気迫る、彼の表情である。彼は、アウシュビッツから生還というにわけにはいかない、まだ半分アウシュビッツにいてそれと戦後といわれる間にいる。余りにもまだアウシュビッツの只中にいる、といった鬼気迫るその表情に、私は圧倒され目が離せなくなってしまった。

 清貧で研ぎ澄まされた必死さ、危機感といった表情の彼は、とてもこの世の者とは思えない表情で、テレビ画面に現れては消える。この汽車に揺られながら話す、白黒の彼の顔の映像と私は出合ってしまった、と思った。彼の映像がでてきたのは、一回目の放映の時だけであった。この一回目で実際の彼の表情としての映像を観たのと観てないのとでは、放映の『アウシュビッツ証言者はなぜ自殺したか--プリーモ・レーヴィ「これが人間か」』の意味合いは随分と変わると思う。やはりこのドキュメントの凄さとして、プリーモレーヴィ氏自身の映像があったこと、そして故人であるプリーモ氏自身の映像として非常に丁重な扱いとして、一回目のときにだけ時折注入という形をとったこと、それが観た人と彼とを出合わしめる大切な一番の衝撃であったと思う。

 その一回目の映像は、徐京植(ソ・キョンシク)は始めに少しだけで後は押さえた静かな口調での語りに徹し、全体のトーン、清貧な雰囲気に、貢献し、威圧的なたたずまいを残すアウシュビッツの建物。張り巡らす電線のような、監視棟と有刺鉄線のような囲い、そしてユダヤ人狩りをして運んでくる列車が真ん中をぶち抜く為の、二本だけの太い線路、それらは、無機質な荒涼とした廃虚として、色を感じさせない。そしてプリーモ・レーヴィ氏自身の表情、そして彼の連れ去られたときも帰還したときも眺めたであろう、故郷の川と夕日、といった押さえた感情で迫るものがあった。 

 そして2回目のときの映像は、一回目とはうって変わってプリーモ氏自身の映像は一切使わず、色も白黒からイタリアの市場やアルプスといった自然の色へと変わる。

 そして語りに徹していた徐京植が、現在のプリーモ氏の故郷の町を訪れる形で案内人として出て来る。徐京植の冒頭での町中での姿を表しながらの、語りが私には印象に残るものだった。-プリーモ・レーヴィ氏が、故郷に生還するのだが、自身のアウシュビッツを体験してしまったと言う事実と、余りにも戦争前と変わらない故郷との狭間で、故郷として帰るところのあったことの方が残酷ではなかろうか-、と在日コリア二世の徐京植の言葉に、私ははっ、とする思いであった。

 プリーモ・レーヴィ氏はアウシュビッツへの収容されるまで、ヒットラーとムッソリーニ率いる第二次世界大戦の波に抵抗し、反戦活動としてレジスタンスに加わる。その活動で時の検察の追っ手を逃れるため仲間達と山に入り潜伏する。そこに検察がやってきて、彼はユダヤ系という理由で捕まり連行され、そのままアウシュビッツへ送られることになる。

 そのレジスタンスとしての仲間達と隠れていた山には、今は歴史の教訓として忘れない為に、小さな建物が建てられていてその連行のあった場所として記録する碑が刻まれている。生還したプリーモ・レーヴィ氏は、そこに彼の一編の詩をおさめている。石碑に刻まれているその詩は、「今、家の中で、暖かいものを食べている、あなた達よ。」と言うような言葉で始る。そして何気なくその詩は、淡々としかし訴えるきつい調子がはっきりと続く。-この歴史の事実をあなた方は子供達に伝える義務がある。これは人間としての義務である。-と切々ではなく、淡々とキッパリとした迫り方で、はっきりと歴史においての戦争の人種差別と隔離収容の抹殺、という全人類への犯してしまった大罪への償う方法を、義務と責任、という形で彼は石碑の詩に刻んでいる。

03.4.28(月)

 

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