そしてプリーモ氏は何故、アウシュビッツ生還40年後に、自死しなければならなかったのか。
それへの考察は、はっきりとした断言は誰にもできない、と言う結論でしかなかったと思う。確かに、徐京植(ソ・キョンシク)の番組最後での考察に、その手掛かりを見るしかないとは思うし、それをもとに私なりに受け取ったものとして纏めておきたいと考える。
プリーモ氏は、精力的にアウシュビッツ体験者として、ホロコーストを二度と繰り返さないための、生還した証言者としてその片足をアウシュビッツにおいてきた危機感を皆に説明する役割も果たし、本も書き、伝えるためのあらゆる活動の努力を惜しまなかった人である。
そして決定的な事件に合う。ユダヤ人として、ガス室に送られ根絶やしを企てられた側のユダヤ人達が逆に、自分達の国を建国するために、アラブの人達の土地を奪い勿論殺戮もあったろうし、イスラエル、という国を力づくで無理やり作ってしまう。というときに、プリーモ氏やその他のユダヤ人の心ある有識者によって、新聞への批判の意見広告を出した。それが元で、同じユダヤ人の中からも露骨な非難をプリーモ氏に寄せられたり、と第二次世界大戦後の政治的駆け引きの中で世界情勢が又もや、そして今度はやられた自分達が同じことをやる立場として、大きくねじれだしその動きを食い止めることが出来なかった現実。
そして生還したアウシュビッツ以外の世界がそのように、彼の経験したアウシュビッツの現状とは掛け離れて行く事への無力感。只生き証人として彼の話を徴集し消費していくことが、アウシュビッツを産みだした土壌事態を内包してしまっていることに余りにも無自覚過ぎる現代社会の一人ひとり。といった両面からの四面楚歌の孤立無援の立場を極めさせらた、といったプリーモ氏は歴史の言わば正しく、生還はしても歴史によって奪還はされず消費されてしまった、犠牲者として自殺させられたのではないか、と今私は番組が終わって3ヶ月以上絶って考えるに至る。
この文を書きながら、アメリカのイラク攻撃がアメリカの圧勝と騒がれ、国連が一昨日ぐらいにとうとう、追認の形を取った。アラブの情勢は、プリーモが証言者として活動したことも押し流し、そんな人がいて苦しみの中で生還しながらも自殺を選んだ、というその時から今の時間を私は推し量り、この時に今知れたことを幸福に思う。そして彼の自殺は、今の時代を目の当りにしないことを、選んだのかも知れないとさえ思えてしまうほど、おぞましい世界情勢である。
人事ではなく、歴史の生き証人として今の日本には、今後アメリカの次なる標的となる北朝鮮問題の当事者として、在日コリアの一世も私を始めとしたこの番組の構成人としての徐京植の二世そして三世四世の大勢が、語らないまま日本にいる。プリーモ・レーヴィ氏は、私にとって障害者の立場としての優生思想の隔離収容抹殺からのサバイバーだけでなく、政治に翻弄され消費されるかどうかの危うい綱渡り状態の私達在日コリアの立場を、しっかりと考えさせられた事にもここまで書いて思い至ったのである。
この番組を製作した皆に感謝である。
2003.5.25(日) 完