日本からの応答 〜劇団態変のポリシー

『資料集 異文化交差のディバイジング』2000.2.10 〜


はじめに

 1996年から3年間続けて劇団態変がエジンバラ・フリンジ・フェスティバルにて公演をおこなった際に、現地のジャーナリストからも好意的な反応を得たのですが、彼らの多くから「態変のポリシーをもう少し詳しく説明してくれないか」という投げかけがありました。
 正直な話し、当惑しました。
 というのは、身体障碍者がその姿や動きをそのまま舞台上に晒け出す劇団態変の表現行為は充分にそれだけでポリティカルな意味を背負うことは先刻承知ではありますが、日本の状況では、「ポリティカル」のレッテルを貼られたら最後、芸術としての評価対象から外されて、「障碍者の主張」や「福祉の問題」にカテゴライズされてしまいます。劇団態変は、芸術の一つの在り方としての評価を得ることを目標に、細心の注意を払って活動を展開してきました。上記の投げかけに対して、最初、身構えてしまったのは、その習い癖であったというわけです。

 しかし、英国では、政治的なものと個々人の生き方とのスタンス、芸術と生き方とのスタンス、したがって政治と芸術とのスタンスが日本とは違って非常に成熟しているのだから、自分たちのポリシーを堂々と説明すべきなのだアドバイスしてくださった方もあって、できる範囲で自分たちのポリシーの説明を試みてまいりました。
 このあたりに一つ、芸術と障碍者のかかわりに関して、英国での動きと日本での動きを単純に比較できない背景があると感じます。日本ではどうポリティカルなものと芸術とのスタンスに眼をつむってしまっている傾向が強く、その延長で、芸術と障碍者についても、立ち入った発言がなされるよりは黙殺の方へ傾いているような感じがして仕方がありません。

 しかし、障碍者も同じ人間なんだから同じように芸術をする障碍者がいても良いではないか・・・ということで済ませてしまってはなりますまい。劇団態変は、日本でも「ポリシー」を堂々と掲げていくことにしました。本稿では、この「態変ポリシー」にそって、その背景説明も加えつつ、日本における《芸術と障碍者》の一つの特徴ある実践である劇団態変の考え方を紹介いたします。

態変ポリシー

革新的表現を目指す背景

 劇団態変が革新的・前衛的芸術を志向するのは、創設者で芸術監督の金満里の資質に負うところが大きいのですが、もうひとつの要素として、表現行為の根として「五体満足・優生思想」への根源的批判を持っていることの帰結としてそれがあります。
 人間は五体満足というスタンダードな身体であるべきで、障碍を持つことはそれだけで不幸なことであるという考え方が、とくに自覚のないまま染みついてしまっていることを「五体満足・優生思想」と呼ぶのですが、子孫をより「優良」に人種改良していこうという方向性から障碍者の抹殺に結び付きます。数万人の障碍者をガス室に送ったナチスの蛮行が目立ちますが、不妊手術や人工妊娠中絶によって障碍者の出生を絶えさせる現在進行中の動きも視点を転ずれば広義のジェノサイドだと言えましょう。
 この優生思想と対決する高らかなデクラレーションとして1971年に出された脳性麻痺(CP)者集団・青い芝の会の「行動綱領」を以下に引用します。自身が重度身障者である金満里はこの宣言の思想内容に深く影響を受け、烈しい障碍者解放運動に身を投じていた時期があります。

 この宣言が発せられた時期は、高度経済成長で生活が豊かになり始めた反面、社会の管理・画一化が進んでいった時期で、母親による障碍の我が子殺しという事件が頻発しています。その加害の母親への減刑嘆願運動という形で障碍者の生存権否定が声高になされ、そのことへの憤りを込めての宣言であったわけですが、愛や正義に訴えて「殺さないでくれ」と哀願しているのではない。「我らを殺すな」に留まらない文明批評がここにあります。役に立つ人間・立たない人間、人間の要・不要、幸・不幸を一方的に価値づけしてしまう方向性を持った文明の進み方そのものを撃つ宣言として読まれるべきだと考えます。これはちょうど、一面的な人類の都合で自然界の一つの種を絶滅させることが、生態系宇宙の人智及ばぬ部分での破壊を通じて結局人類自身の首を絞める、ということとのアナロジーで読むとよいでしょう。

 一点、註釈を加えておくべきは、最初の「自覚する」の中味です。身体障碍者、特に重度脳性麻痺者の「歪んだ」とされる姿態、「ぶざま」とされる動き方、は、ストレートに眼から入ってきて人の感じ方・考え方を左右し差別意識の基となるものです。それが表面的な印象にすぎないのであれば「見馴れる」ことで克服もできましょうが、どうも、その深いところを健常者とは相容れない何かが貫いている。「ペース」という言葉がそこでよく使われます。健常者文明とは相容れず、「異物」としてずっとひっかかり続ける「ペース」を自分たちは持っている…というより、その「ペース」を「生きて」いる。そのことにまで自覚を深める必要がある、ということなのです。ありのままの障碍の姿を深く直視して、それを受け入れることを出発点としています。
 このことをもう一歩進めた先に、劇団態変を創設した金満里の独創があります。「効率」や「機能」からかけ離れた身障者の動きを、宇宙につながるような微妙で不思議な動きとして再発見した金満里は、障碍のそのままが表現力に転化し得ると考えて、身体障碍者による身体表現を追求してきました。より高く、より速く、と身体の機能を高め、そのように鍛え上げられた身体を自在にコントロールしておこなう身体表現というのが従来の表現の枠組みだったと言えましょう。金満里は、その対極にも、人の心を撃つ表現が創れると考えてきました。例えば、ただ這ったり転がったりして移動するだけの中にも美は発見され、本人の意志を常に裏切り自由な制御の効かない身体が、瞬間の美を発揮することもあるのです。

 もう一つの切り口が「まなざし」です。健常者は、直立姿勢からのまなざし(世界の見え方)を基本にしていて、立てない障碍者は、座った高さからのまなざし、寝たきりの重度障碍者は地からのまなざしで、世界を見ています。まなざしが異なれば世界は、全然異なって見えます。そして、この「地からのまなざし」への気付きを誘い出す身体表現が、斬新な美を健常者のまなざしに対しても開示するのです。

 更に劇団態変は、自力移動の困難な重度障碍の役者が文楽の黒子を模したスタッフに運ばれて登場するという意表を突くスタイルを編み出し、観客に受け入れさせてきました。これは、身辺自立もできないのに表現活動など…、という思い込みへの痛烈な一撃になりました。機能回復(獲得)訓練を充分におこなった上で表現活動を、という常識的な順序を受け入れることは、通常人より優れた身体・精神能力を持つ者が芸術創造者としての特権的地位を占め、際立った能力を持たぬ通常の人は主に与えられる側に甘んじ、通常人より能力が劣る(とされる)障碍者は創造活動から疎外される、という一次元的な関係を認めることになります。劇団態変は、そんな関係のあり方そのものに対して果敢に挑んで来たのです。

 このように、劇団態変の身体表現は、青い芝の会・行動綱領に示された思想の、文明批判の部分を受け継いで成立しています。
 劇団態変の身体表現には、「障碍者を殺すなかれ」という直接的メッセージは微塵も含まれません。そこにあるのは、一次元的価値判断軸が、障碍者を抹殺するだけではなく人類全体の首を絞めるのだということ、優劣の一次元軸によって抑圧されているのは「劣」の端に位置付けられている人だけではなくて人類総体なのだということへの、気付きの通路です。

 蛇足ながら、障碍者運動の展開についても簡単に触れておきます。障碍者運動の特異性として、障碍者本人を主体とした運動と、障碍者の家族や施設・学校の職員・指導員のサイドからの運動とがあり、時にその両者が敵対的関係に陥る場合もあるのです。後者の立場からは、青い芝の会の「愛と正義を否定する」という云い方は受け止め難いものでしょう。しかし「保護」を断ち切り障碍者自らが主体として立ち向かっていく方向が打ち出すとき、最も身近な人との熾烈な闘い(独立戦争)が避け難いわけです。
 ただし、青い芝の会が掲げた健常者文明批判という思想が具体的な形で運動に結実したわけではありません。やはり、運動の基調は権利擁護闘争であり、社会の一員と認めさせること、市民が通常普通におこなっているあらゆる営みへのアクセスを目指す「ノーマライゼーション」ないし「完全参加と平等」が焦点になります。もちろん、この方向の運動が切り拓いて来た成果は大事なものであり、劇団態変の活動の展開の基盤としても無くてはならないものです。
 この方向の運動が障碍者差別に対して立てる戦略は、「共生」です。隔離するから偏見が生じる。障碍者が街でありふれた存在になり日常的に触れ合うことで、同じような悩みや喜びを持つ等身大の姿が見えてくる。そこでは「心暖まる人間同士の触れ合い」が大切にされることになります。そして、それに対応した表現のスタイルも幾つか現れています。障碍者が表現活動に参加する権利を実現する場、想いを伝え理解を深める場としておこなわれているのでしょうが、障碍者の周りで嬉々として動き回るボランティアの健常者の元気さばかりが眼に付くような苦々しい企画であるケースが多く、劇団態変は、このような動きからは一線を画して来ました。
 青い芝の思想の健常者文明批判をストレートに実体的に継承した唯一の存在として、劇団態変は、日常の制度を超えた価値の世界を立ち上げるべく、既成の美意識を、世界観を、深く強く揺り動かす力を持った革新的な芸術表現を目指します。

自立と表現のつながり

 1983年の劇団態変旗揚げ公演『色は臭えど』は障碍者が胸の内のケッタクソを吐き出し毒づく挑発芝居として構成された作品で、「アンチ・テアトル(反演劇)」的な面白さが好評をはくしました。だが、客席からの喝采とは裏腹に、出演した役者自身の内面が大いに荒れたのです。世間の怖いもの見たさ欲求に迎合し、障碍者性をことさらに誇張して切り売りしてしまった苦さからの荒れだったと思うのです。ただちに、身体表現としての掘り下げへと方向転換しました。障碍者の身体の独特の面白さ、美しさ、を引き出して、観客にもそれが共有されるように提示していく方法の試行を重ね、1989年に『銀河叛乱89』にて現在につながるスタイルが確立します。 この身体の掘り起こしの作業を通じて、私たちは、身体表現がその人の生き方と深く結びついていることを思い知らされてき
ました。

 ここで焦点になるのは自立ということです。自立を、社会通念的に身辺自立・経済的自立という意味に限れば、重度身体障碍者は、日常生活に介護を必要とし、就業を閉ざされ、つまり自立から遠い存在です。しかし、自立はもっと深い意味で捉えられるべきです。例えば、在宅や施設で受動的に介護をされ続けると、自分のことを自分で責任持って意志決定する力を失っていきがちです。自己決定を奪い返すための障碍者のこの壮絶な闘いに触れるとき、逆に健常者の方に、自己決定というものを深く掘り下げる問い返しが突きつけられます。そのような意味での自立が、その人から引き出し得る身体表現の質と密接に結びついていることを、劇団態変は学んできました。
 自己受容も極めて重要なファクタです。障碍者は、自分の存在そのものを否定に晒され続けているわけで、自分自身が自分を受け入れられない状態に陥る人も多く、そのケアとして障碍者同士での「ピア・カウンセリング」が近年盛んに取り組まれています。劇団態変に引き付けて言うと、自己受容を欠いては舞台に生身の身体を晒す表現活動は最初から成り立ちようがありませんが、いったん自己受容の回復と身体表現の掘り下げとが連動して進展し始めたとき、個々の存在の奥底にある「宇宙」に触れでもしたような輝く表現が立ち上がってくることを、私たちは多く体験してきました。

 さて、ここで述べた事に関連して、芸術と障碍者の関わりの一つの在り方について註釈を加えたいと思います。いわゆる、アウトサイダー・アーツのことです。文化や芸術にも中央(発信源)があり、したがって周縁があるとされるのですが、正規の芸術教育を受けていない人たち…多くは被抑圧者…が時として既存の美意識を超越した斬新な感覚溢れる作品を創ってしまうことがあります。伝統的な芸術の限界を突破するための手がかりとして前衛芸術家が積極的にアプローチすることが多いのですが、それが、「周縁」からの「収奪」に終わってしまうことがままあるのではないでしょうか。
 健常者文明から見れば障碍者は「周縁」の最たるものとして位置付けられるのでしょうが、芸術に障碍者が現れるとき、障碍者性の強調が健常者側の視点でおこなわれてはならないのだと、考えます。障碍を表現力に転じていく道が、障碍者自身によって発見され、創造されるのでなければなりません。それも、その障碍者自身の生き方をポジティブに切り拓いていく方向と切り結びながら。
 その際、健常者側の描くスタンダードな世界とは違った世界を生きているということを障碍者自身が自覚することに出発点があります。それは、先述の、相容れないペースやまなざしの位置という根の深い部分での違いに発しています。自分の持っているその世界を受容し、そして、自分にとって世界とは…という、その世界を提示することを、芸術活動として昇華していくわけです。

 「世界の中心」はたった一つなのではない。

 これが、劇団態変の活動と考え方の基本なのです。

新たな共同性の探求

 日常生活にも介護を必要とする重度身体障碍者を活動の中心に据えてきた劇団態変では、障碍者であるパフォーマーと健常者スタッフとの共同作業のあり方を常に考えてきました。障碍者と健常者との関係は往々にして、健常者が障碍者のために一方的に助力をしてあげるという恩恵的なスタイルに陥るか、またはことさらに障碍者の立場を持ちあげるかであって、両者が対等に共同で一つの価値あるものを創り出していくようなパートナーにはなりにくかったと思います。劇団態変の活動スタイルは、共同でパフォーマンスを創って行くプロセスを通じて、様々な人が集まってコミュニティを作って行く場合の一つのあり方を、舞台創造という枠を越えて社会に提起し、還元してきました。
 劇団態変の表現が芸術の革新をめざすものでなければならないとする背景は既に説明した通りですが、ことさらに芸術至上主義を標榜してきたことには、もう一つの戦略的意味がありました。

 障碍者、とりわけ身辺介護を他人の手に委ねざるをえない重度身体障碍者は健常者に「首根っこを掴まれている」。介護者の顔色を伺い介護者に気に入られるように振舞ってしまう行動習性を知らず身に付けてしまう人も多いのです。そこへもってきて、単に障碍者とのヒューマンな交流を求めて活動に参加する健常者が居たとしたら、彼らの果たす役割は、足引っ張りになりこそすれ、表現の質にプラスとなることはありません。この点について劇団態変は数々の苦々しい経験を積んできました。そこで、最近は、「時代の最先端を行く芸術を本気で目指す集団」と自己規定し、そのつもりで活動に参加することを求めるようにしています。いくぶん辛辣な言い方をするなら、芸術表現としての質が達成されない限り「障碍者の創り出すものは所詮この程度」と見くびられ続けるのは障碍者で、一方、健常者は障碍者に寄り添う行為だけでも一定の世間的評価(優しい人だ、善良な人だ)をものにすることができるのです。

生きる糧となる芸術

 鍛え抜かれた超人的な肉体で演じようと、地を這う重度身障者が演じようと、表現の質の追求を疎かにした舞台人が人の心を撃つことはなく、それはいわゆる見世物に堕することでありましょう。(障碍者の場合は「こんなに健気に頑張っている」という観られ方もあって、それはそれでたちの悪いものなのですが…。)
 芸術表現という土俵の上での精進が大前提であることを改めて強調しておきます。その上で、劇団態変が目指す芸術革新の方向性は、「五体満足・優生思想」への根源的批判という根を持ち、自立や自己受容といった人の生き方の深い部分と絡み合い、新たな共同性のあり方を提起するものとして、「生きる糧となる芸術」という言葉に集約されていきます。単なる革新のための革新ではなく、人がより良く生きていくために欠くことのできない芸術へ向けての革新を私たちは目指しています。

 1992年に招かれてケニアの3都市での公演ツアーを挙行した際に、劇団態変は、生存のための舞台芸術(theatre for survival)という概念に出会いました。ナイロビのスラムのギリギリの生活の中でも切実に必要とされ演じられている表現があり、そのような表現を障碍者とも分かち合っていこうとする真剣な取り組みがありました。 片や日本では、車椅子に乗って劇場に足を運ぶとき、恐ろしく不当な扱いが待ち受けています。他のお客様に迷惑だと言われ、隅のとんでもない位置に追いやられることが多いのです。視界の妨げが問題なのではなくて、実は、障碍者が目障りなんじゃないかと思わせるような態度に遭うことさえあります。現実の世界から離れ夢の世界に遊びたくて劇場に足を運ぶ人たちは、劇場で障碍者の姿など見たくないのかもしれません。そういう意味で、生活のゆとりの部分での〈装飾品〉ないし〈贅沢な玩具〉としての芸術という感覚が日本では色濃いように思われるのです。
 芸術を革新する、新しい芸術を創り出す、という場合、芸術の意味そのものを変え、芸術と人との出会い方を変えていくような根本的な革新にまで踏み込んでいくのでありたいと考えます。
 そして、そのような革新がおこなわれるなら、これまで芸術とは全く無縁な存在だと阻害されてきた人たち、自分でそのように思い込んできた人たちが、芸術創造の主体に転じていく機会が拓かれるでしょう。とは言え、「誰にでも芸術はできる」という拡げ方には慎重であるべきだと考えます。自分自身の内奥からの内発的で切実な必要として芸術への機会を奪い返そうと意志する人に限れば、斬新で豊穰な表現を引き出せる可能性が高いでしょう。というか、そのような人たちからこそ表現を引き出してこれる方向を目指して、新しい革新的な芸術が創造されるべきなのだと思います。
 「入門」的なアートを用意して参加の機会をシェアする、というのとは、正反対の事態を私たちは思い描きます。芸術への機会を奪い返そうという切実な意志でやってくる人を、先端的な創造の試みの本格的な現場にいきなり誘い込んでしまう道もあるのではないでしょうか。
 もちろん、基礎からみっちりと積み上げていく修練の果てに達せられる至高の芸を私たちは敬いますし、「型破り」といわれる劇団態変にしても、十数年間修練を積んできた生え抜きの役者は初心者を寄せ付けぬ熟練した「型」を身に付けています。彼らの確固とした表現力をフルに使って、先端的・前衛的な身体表現を創出しているわけです。
 だがしかし、とことん究めていく前衛芸術の創造と、芸術への参加を拓くこととを、止揚していけるのだという見通しを私たちは持っています。

 参加と先端的な創造とを止揚する試みとして、劇団態変は、2つの活動のバリエーションを創ってきました。
 1999年から2001年にかけておこなわれた『壷中一萬年祭』と題した祝祭イベントは、施設や在宅で社会との接点さえ奪われてきた人も含む多数の一般公募障碍者エキストラ出演者を迎え入れ、音楽・美術・映像の多彩なアーティストとのコラボレーションで刺激的な作品を創りあげるものです。この公演の実現のためには、例えば施設からの参加を保証するために送迎介護者を公募・養成するなどの活動も不可分に絡んできます。生活と芸術、社会と芸術の境界にチャレンジする取り組みでもあるのです。
 また劇団態変は「現地巻込み型地方公演」と称して、地元からの志願者と共にワークショップを重ねつつ役者や黒子として参加してもらって創りあげていくスタイルの公演を、長野、名古屋、岡山、広島にて、成功させてきました。身体障碍者である役者が舞台設営などの肉体仕事を担えないどころか生活介護や黒子として通常劇団より多数の人手を要する劇団態変は、根拠地から離れての公演活動には不利でしたが、それを逆手に取って始めたこの現地巻込みのスタイルが、従来出会い損ねてきたものが交差する実に刺激的な交流と創造の場として、各地で好評を得てきています。(これらの活動に関しては、劇団態変・制作部発行の「情報誌・イマージュ」Vol.14,16を合わせてお読み下さい。)


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