
フリンジでは、演じている本人にだけ意味を持つようなパフォーマンスが溢れかえっているが、その中にあって態変の作品は、興味深い問いを投げかけている。 一人一人が各人各様のやりかたでアートを解釈する (しなければならない)ことに意義があるのではないか、と。
「死霊」 は、 フリンジの中で最高に直観的なダンス作品というわけではない。日本的なダンスの型から取り出してきた諸要素に、演者たちの重い身体障害からくる制限を結び合わせて創られている。しかしながら、 その熟達した身のこなしと静止、フロアを二次元として活かしきったパドゥ・ドゥ(二人の絡み)、 そして最後に展開される力強く美しいイメージ、 は賞賛に値する。 タイトルの通り、 死霊 (旅立つ魂)たちは、現世の甲羅から自分自身を解き放ち、白い布が織り成される魔法のようなシーン、繊細な照明、独創的な森の枝の造形、の中を自由に漂う。 ここで演者たちが成し遂げているものは実に確かなものだ。 彼らは嬉々としてある一つのストーリーをみごとに伝えると同時に、障害を超えていく力の有効性を示している。 (Don Morris)
ザ・スコッツマンは、スコットランドを代表する日刊紙。エジンバラ・フェスティバルに力を注いでいて、期間中は毎日フェスティバルの情報を載せた分厚い別冊が挟み込まれ、そこに劇評が満載される。…とは言え、ここに2度も登場するというのは、かなりの快挙だと云われる。劇評には、★〜★★★★★までの5段階評価が付けられる。最低のには「run away 逃げろ」だの「frightfully awful ぞっとするほどおぞましい」だののコメント付きだ。 (英国人一流のユーモアだろうが…。) 幸いにして態変は1週目は★★★ 2週目は★★★★ をももらうことができた。
「死霊」のどの点が最も注目すべきなのかを云うのは難しい。障害を持つ演者たちがいるという事実なのか、そのダンスの発する強力な磁力なのか、あるいは、振付師の創造の力なのか。
態変は日本のグループで、彼らのダンスは、(我々を)混乱させ、なにやら突きつけてきて、そして、興味深い。全員が重度の障害を背負っているが、彼らの軽やかさとエネルギーを見ていると、人間の身体の持つ思いがけない潜在力を知らされ、「障害」だの「健常な身体」だのにまつわる既存の考えの再定義を迫られる。
このダンスは、生と死のはざまの薄暮の時間に関するもので、 そこでは、魂が解放されて一瞬の純粋表現の境地を見せる。 ーこれはまたまさしく、剥き出しの表現である。
まるで催眠術にかけられたみたいに捻じれ、歪んだ動き方でステージを横切る演者たちは、身体をよじり、 悶え、のたくり、もがくのだが、それらの動きのほとんどが、 それじたいダンスなのだ。彼らは身体の不自由を完全に脱ぎ捨て、身体を晒し、 そして、観客のリアクションをかきたてて止まない。ショーのクライマックスにある蛇のダンスにはうっとりとさせられる。長い尾を引きずりながら演者たちがステージを横切って行き、そして、その尾を脱ぎ捨てる。この瞬間は象徴的である。
金満里の振付は壮麗で演者のどのポーズ、ターン、体のひとひねりを取っても、明らかにその芸術的配慮が行き渡っている。彼らが、森を思わせるような忘れがたい音楽に合わせて動いていくにつれ、美しくて別世界のようなダンスが創り出されていくように、どの場面も意匠がこらされている。これは、我々の頭を混乱させつつ迫ってくるパフォーマンスだが、これに類したものをかつてあなたは観たことがないだろう。 (Natasha Mann)

この作品が焦点を当てるのは、 生と死の間のひとときだ。そのひととき、魂は身体から離れ、肉体の束縛から解放される。これは、日本の劇団態変にとって、とりわけ痛切なテーマである。というのは、態変のメンバーは全員、 身体障害者なのである。彼らがダンスする時、----確かにそれはまぎれもなきダンスなのだ----彼ら独自のターム(術語) でそれはおこなわれる。歩けない者は、上半身を総動員して動き、相手と絡む。ある演者は脳性マヒである。彼の手足に取り憑いた痙攣そのものが、 彼の演技の一部となっていて、その独特の素早い軋むようなリズムときたら、健常なダンサーが真似ようとしても決してできないものだ。腕の無い若者の持つバランスと美しいラインは、多くのダンサーにとり身に付けることができたならば光栄に属するようなものだ。 彼によるオープニングのソロは、作品全体を支える礎石となる展望と完成を提示するものだ。このパフォーマンスには、魂の優雅があり、それが我々をとらえて離さず、心の奥底からの感動を呼ぶのである。 (Mary Brennan)
フォト・コールといって、劇場がマスコミに呼びかけて行う舞台イメージ写真の撮影会があある。 今回、これの初体験をさせてもらった。 早朝から着替え メークをして劇場に駆けつけさせられるなど大騒ぎだったが、おかげでザ・ヘラルド紙に特大写真入りで劇評が掲載された。ザ・ステージは、 全国版の演劇業界人向けの週刊の新聞だが、一般の演劇愛好家も読んでいるみたいで、街中の普通の新聞スタンドで手軽に買える。(エディンバラでの劇評の和訳はすべて、仙城真 太田隆文)

「死霊」 が、 あなたが生涯に出会う中で最も感動的なダンス作品の一つとなろうことは間違いない。この作品は、日本のグループ、態変によって演じられているが、そのメンバーは全員がポリオや脳性マヒをかかえ、 日常的な介護を必要としている。
人によっては、この作品をステージに載せるにあたっての彼らの苦渋に満ちた決断と意思に驚嘆するあまり、客観的観察者の位置に座してこの作品をただ楽しむことがとても難しいかもしれない。これは、心底不思議な、生の肯定に満ちた作品だが、しかしステージ上に展開される動きを観ていてただ心地好くなるだけですまされることは決してあるまい。
障害についての観念とアートやダンスについての観念が一貫して脅かされ、また、観客の眼前に展開されているものは一体何なんだ…これはエンターテインメントなのか、教育・啓蒙なのか、はたまたモロな覗き趣味なのか、という疑問にずっとつきまとわれる。ただし態変は、この疑問には答えてはくれず、 観客自身に自分の信念や先入観について考え込ませる。
こらされたソロ演技に始まり、死霊が、ねじれ、曲がりながら、終局の場面へ進んでいき、白い網の中へ自身を編みこんでいく。
凝った、霊感を与えるような音楽の演奏を伴いつつ、態変は、生きる事と芸術との垣根をすべて打ち壊してしまう。 演者たちは彼ら自身の生を 愛すべき、そして畏敬されるべきものとして、差し出して見せるのだ。
(Stuart Buchanan)
〔はじめに〕97年 8 月、劇団態変はベルナー・タンツターゲ(べルン・ダンス祭典)に招かれて『Departed Soul(死霊)』を上演した。上演の翌日、オーストリア人ジャーナリストから取材申込があり、芸術監督の金滿里が3時間近くにおよぶインタビューを受けた。受けた本人いわく、「日本のジャーナリストが決してやらないような、ワクワクさせる、エキサイティングな取材」だったそうだ。その結果、『フランクフル卜・ルン卜シャウ』(ドイツ三大紙の一つ)とオーストリアの『ザルツブルグ・ニュース』に記事が掲載された。記事の入手に手間取り、半年遅れの紹介になるが、日本語訳の全文を掲載する。
独文和訳にあたって、ドイツ哲学研究者の藤野寛氏と細見和之氏に全面的にお世話になったが、最終的な訳文の責任は、本誌編集顧問・仙械にある。
ヘルムー卜・プロェブス卜
「人間全体の90%は、存命中に、遅かれ早かれ、障害者になるのだ。」…USA出身の脳性麻痺ダンサー、エメリー・ブラックウェルの言葉
ブラックウェルは、9年前から、アリ卜・アレッシィ(オレゴン州ユージンの著名なダンス教育家・振り付け師)とともに、「ダンス・アビリティ」どいうトレーニング法と取り組んでいる。これは、障害者が健常者と対等に芸術ダンスの習得をする道を開くものである。身体的に、あるいは精神的に障害をもつ者にダンスは可能か ---- それも、劇場の舞台の上で。先ごろ、第11回べルナー・タンツターゲがこの問いへの解答を試みた。『芸術作品身体[*]というテーマのもと、スイスの首都のはずれにある工場跡地「ダンフツェントラーレ(蒸気センター)」にて身体障害のダンサーから成るカンパニーのダンス・パフォーマンスを観せたのである。
[*]『技・芸術(Kunst)、部品・作品(Stuck)、身体(Koerper)からの造語である。部品(切片)を結節点とレて身体とその技を見るともっと深く人聞が見えてくる、という趣旨で、97年のベルナー・タンツターゲのテーマとレて造語された。
観客たちは興味津々で「蒸気センター」に押し寄せた。とりわけ日本の劇団態変が姿を現すこの初めての機会を逃すまいと。態変の最新作『Departed Soul(死霊)』には、振り付け師自身も出演する。マンリ・キム (43才)、日本政府によって抑圧されている日本在住韓国人少数派の家庭に生まれ、3才の時に小児麻痺で重度の障害を負った。「そういうわけで、私は、いつも、二重の意味で行き場のない存在だったのです」、とキムは語る。1981年、日本における障害者抑圧に反対して行動するある運動に、彼女は加わった。それを通じて、劇団の旗揚げへと勇気づけられたのだという。彼女の劇団、態変----「態変」とは変身(変態)を意味する言葉である ---- は、83年以来活動を続けていて、これは、疑いなく世界中の類似のカンパニーの中で、最古参である。1983年以来、マンリ・キムは、作品から言葉の語りを放棄し、もっぱら身体の動きによるパフォーマンスに集中してきている。
それは不思議な姿形をした者たちだ。ある様式化された原生林に集う「死霊」----魂たちは、元の肉体の死後そこから離れ、この世とあの世の間にある無人の地で生への追慕の輪舞を始める。まるで小妖精エルフのように軽やかに舞う一人の魂は、腕が全く欠損している。またある者は、ひたすらごろごろと転がり続ける。第三の白髪の魂は、湾曲した背中を振ってすばしっこく動き回る。生命が形を変えたものである六つの魂たちは、お互いに物語を語り合う----思慮深げに、またしばしば皮肉っぽく。胴の短いリュー卜である筑前琵琶、バイオリンに似た胡弓、太鼓、フルート、そしてギターによって奏でられる響きの中から、強烈な表現力をもって、隠されていた世界が現われ出てくる。目も舷むばかりに振 り付けられた作品『Departed Soul』は、厳密に考え抜かれた構造を備えており、その中の運動言語は、バレエにおける平板な常套句に対する完壁なアンチテーゼをなしている。
ろう者の音の無い世界からも、一つのグループが立ち上がってきた----フランスのインターナショナル・ヴィジュアル・シアター(IVT)は、実は、すでに1976 年から存在している。しかし、この劇団は、今回初めてダンス演劇の作品に着手したところである。『偶然による奇蹟』----振り付け師ジョエル・リエネル(50才)は、このタイトルを文字通りの意味で理解している。「というのも、この作品の成立そのものが、一つの奇蹟、偶然だったからです。それを引き起こす誘因となったのは、1880年にミラノで開かれた会議でした。その場で、手話が禁じられたのです。耳の聞こえない者は、とっとと話すことを学ぶべきだ、というのです。それから一世紀にもわたっ
て、この苦しみが続いたのです! IVTの結成は、最初は、政治的な目標をもったものでした。手話を認めさせること、です。」リエネルは、そう報告している。(雑誌『バレエ・インターナショナル/ダンス・アクチュアル』1997年、1号。) 1991 年に、ついに、手話の承認は達成された。それに続いて、聴覚障害者の文化をさらに開拓していくことが、課題となっている。その文化は、リエネルに云わせれば、「アジア文化やアフリカ文化に対するのど同様の独自性をもって存在しているのである。」
『偶然による奇蹟』は、外見上では見えにくい障害をもっ人々の、二重性をはらんだ環境へと、われわれを導く。このグープのメンバーである L ・ペスカール、P・ギャロー、S・ヘルマン、O・シュ卜レット、 L・バロー は、見た目には「ノーマルな」よく鍛えられた身体の持ち主である。もし、彼らが音の鳴り響く空間の外側に住むという事実を知らなければ、われわれは、『偶然による奇蹟』を、エピソード風の演劇仕立てによって成功した一つの作品というような、単純な観方でしか観ようとしないだろう。どれほど困難な条件のもとでその仕事がなされているのかをわれわれが予感し始めてから、ようやく、驚嘆が生まれるのだ。障害者の手による作品をめぐって、まさしくこの背景から生ずる論議がよび起こされる。すなわち、障害者が創作し演じた作品も、バレエやコンテンポラリーダンスの振り付けと同じ土俵で評価されるべきなのか? 健常者からすれば正反対の身体運動言語から引き出された運動レパートリーによるダンスの芸術的価値を測るに、いかほどの評点を付けるべきなのか?
ベルナー・タンツターゲは、実例でもって吟味する機会を提供してくれた。アリ卜・アレッシィが相棒のエメリー・ブラックウェルとデュエットで演じてみせた作品は、『Departed Soul』や『偶然による奇蹟』に比べると、テーマ的にはより表面的で、また、娯楽的ギャグをふんだんに散りばめていた。二人のアメリカ人が舞台上にもちこんだ杖と車椅子は、そこに、ある種、治療訓練を匂わす雰囲気をかもしだす。マンリ・キムは、そういった小道具を一切使わないことによって、それを回避することに成功している。IVTは、「普通」の演劇から拝借してきたのではない独自の要素を、おそるおそる使い始めている。劇団態変は、そのような自立性をどうに見い出している。ついでに言っておくなら、障害者のパフォーマンスど比較すると、ドイツのフォルクワング・ダンススタジオが健常者のダンサーたちによって上演した二つの作品は、ともに表面的で観念的な印象を残すものだった。振り付け師マーク・ズィーカレックは、『六月の完壁な日々の雨のしずく』の中で、さりげなく、エイズというテーマと取り組んでいる。だが惜しむらくは、彼の運動ボキャブラリーは、大部分が伝統に囚われたステレオタイプであり、訴えるべき内容は、美的ナンセンスの雲の下に消え失せてしまうのだ。
エイズに関して云うなら、レイモン・ホッへによる舞踊を伴わないソロ作品、『マインヴェルツ(わたしの方へ)』もこのテーマと取り組んでいる。この作品は、べルナー・タンツターゲに先立って、ウィーンでも観ることができた。ホッへは、ヨーロッパのナンバーワン女性振り付け師ピナ・パウシュのもとで、かつてドラマ卜ルグをしていた人だが、1994年初演のこのパフォーマンスの中で、エイズ患者に対する社会からの排除の問題を主題化し、合わせてナチスの時代に芸術家たちが迫害された際の残虐さを想起しようとしている。
知的な深み、繊細な舞台哲学、歴史の知識、そして同時代史への問題意識があいまって、ホッへの仕事に、特異な、今にも壊れそうな雰囲気を与えているのだが、複合的でかつ明噺な構成によって、均衡が保たれているのである。
障害者による様々なパフォーマンスの間に、質的レベルの差異を認めることは難しくはないし、障害をもつパフォーマーを眼前にして生じがちな困惑や同情から距離をとりながら、障害者の作品と健常者の作品との間に質的レベルの差異を認めることも難しいことではない。べルンでの「芸術作品身体」は、この問題をテーマとして取り上げた点、また、繊細な感覚にもとづくプログラムによってセンセーション志向の見世物ショーに陥ることを見事に回避しえた。この点で、疑う余地なく、功績であるとみなすことができる。とはいえ、第11回べルナー・タンツターゲは、陣害をもつ演技者たちからなる興味深いグループのほんの氷山の一角を紹介することができたにすぎない。例えば、イギリスの素晴しいグループ『カンドコ』や、スイス出身でオース卜リアで活動する振り付け師ダニエル・アシュパンデンど彼のアンサンブル『イメージ・ヘッドライト』などが、抜け落ちているのである。その上、精神障害者によるパフォーマンス---- ベルギーの『タタール劇場』のような ----が漏れていた。オーストリアにおいても、同じように障害者によるダンスと取り組むべき時が、そろそろ来ているのではなかろうか ----ひょっとすると、『ザルツブルグ・シーン」の一貫としてやることすら可能なのではないか。
ヘルムート・プロェブスト
[*] Koerperexpressionisten 本文では、expressiven Koerper(表出的身体と訳した)という云い方が頻出しているが文脈上、身障者の身体に関して、この expressiv という形容がなされている。表情豊かにあからさまに表す、というくらいの意昧である。身体じたいが饒舌に色々なことを語ってしまうような様子を言い表すと思われる。
[ベルン発] 今をさかのぼること60年 ----- 1937年7月19日 ----- ミュンヘンで開幕したナチスの「退廃芸術」展覧会にて、「アーリア的[*]」理想に反するとして真っ先に槍玉にあげられたのは、あらゆる表出的な肉体描写だった。この扇動からまっすぐに延びている一本のイデオロギーの線がある。それは過去に向かっては古代ギリシア美術の肉体につながり、反対側は、現代のスーパーモデルにつながっている。ギリシアの古典と今日のコマーシャル戦略の根底には、非人間的なまでに度を越したあり方の規格化と美化が、同じ程度に横たわっている。
[*] アーリア的= ナチスは優等人種・劣等人種というイデオロギーに基づいて、片やユダヤ人絶滅作戦という戦標すべき犯罪を行い、片や「金量碧眼」に代表される理想化された「優等人種」像を捏造レて、それをアーリア的と称して持ちあげた。
造形芸術の分野では、様々な媒介物(材料)を介して、身体が表現されているのに対して、ダンスでは、その種の間接性は消え去る。ここでは、身体の生身(なまみ)の現われこそが、材料でありかつ表現であるのだ。古代ギリシアでは、この芸術形態(ダンス)のために固有の女神・テルプシコーレ(九詩神=ミューズの一人)が当てられていたのだが、以来今日に至るまで、この分野では人に自信喪失を引き起こすような身体像が支配的だった。それは、過度に様式化され高度に訓練された無邪気な芸術的お人形とでもいうべきステレオタイプである。バレエは大部分が相も変わらずこの紋切り型の上にあぐらをかいたままである。しかし、この種の昔ながらの単純化は、全般的状況の中でその意味を失いつつある。 というのも、現在台頭を始めているダンスの中には、目下のところ他のどんな芸術形態にもまして興味深い実験が行われている分野が存在するからである。
第11回べルナー・タンツターゲは、『芸術作品身体』というタイトルのもと、障害をもっダンサーと障害をもたないダンサーの身体芸術を対比的に示すという試みをした。『Departed Soul(死霊)』は、在日コリアンの女性振り付け師マンリ・キム(43才)の最新作で、われわれを、様式化されたジャングルの中に連れて行く。そこには、今まさに身体を離れたばかりの魂たちが滞在しているのだ。これらの存在者たちの中のある者は腕の先端部分しかもっていないし、他の者は脳性麻痺で痙攣している。キム自身も、ダンサーとして魂たちの輪舞の輪に加わるのだが、3才以来、小児麻痺の後遺症を負っている。キムと彼女率いる劇団態変のメンバーたちの身体は、表出力ゆたかに運動する彫像に似ている----障害そのものが生み出す特異でラディカルな身体運動言語によって造形された彫像に。
スティーブ・パクストン(58才)----「コンタクト・インプロピゼイション」(現代のほとんどあらゆる舞踊家にとって欠かすことのできない運動とデュエットの方法である)の考案者----は、今回のダンス祭典の開催中に、『いくつかのイギリス組曲』を発表した。多彩で、細部まで練り上げられたソロの即興演技である。談話の中で彼は「目に見える障害」と「目に見えない障害」とを区別している。その両方を、マンリ・キムはつき合わせ、隠蔽されてきた霊魂の発育不良を、変形した身体を使って目に見えるものにしてみせた。『Departed Soul』は悲劇ではない。何処とも知れない原生林で繰り広げられる風変わりな魂の踊りが表現するのは、かつて生命力に溢れていた存在への追憶である。思慮深く、控えめで、上品なユーモアに貫かれている。一瞬たりども、舞台を通した困窮の訴えや社会的アピールではないのかという邪推が入り込む余地はなかった。劇団態変の表出的身体は、強烈な創造性の生きて動く記号として、舞台を自在に支配していた。
「マンリ・キムと私はおそらく見かけ以上に多くのものを共有しているのだ」とアリ卜・アレッシィ(同じく43才、アメリカのダンス教育家・振り付け師)は言う。障害者ど健常者が共におこなうトレーニング法「ダンスアビリティ」を開発したのが彼であるが、「私の学生たちと共同で」という点を特に彼は強調する。パクストンの「コンタクト・インプロビゼイション」は、アレッシィの授業においてだけでなく、彼が脳性麻癖のダンサー、エメリー・ブラックウェルと共演するパフォーマンスにおいても、重要な要素をなしている。「われわれは、他でもないヨーロッパでこそ、観客もわれわれも共に楽しめる作品を上演したかったのです」という云い方で、アレッシィは、あまりにも毒のなきすぎる振り付けどの批評を斥ける。ブラックウェルの肉体的表現主義と意味深長な笑いは、かかえ持つ肉体的制約の中から説得力ゆたかな運動の多様性を蒸留してきた人の、内面における人生肯定を映し出している。とりわけ、ブラックウェルが車椅子から降りて、日常生活では頼りきりのこの乗り物をからかってみせるシーンにおいて。
一方、劇団態変の方は、作品の中に車椅子を持ち込むことは完全に放棄している。マンリ・キムの舞台フォーマンスへの接近は、もともとは政治的なものだった。障害者差別に対する抗議運動の結果として、1983 年に、このグループは結成された。それに対し、アレッシィの仕事は、教育的な出発点をもち、そこから、セラピー部門と独立の芸術部門へと枝分かれしていったのである。
べルナー・タンツターゲをヨーロッパ側から代表したのは、レイモン・ホッへと、フランスのインターナショナル・ヴィジュアル・シアター (IVT、非常に積極的に活動している聴覚障害ダンサーのグループ)だった。ホッへの 1994年初演のソロ作品『マインヴェルツ』は、今回のスイスでのフェスティバルの全体文脈の中に置かれてみると、ナチスの狂気の時代からこのうるわしの現代にまで連綿と続いている人聞による人聞の排除についての総合的な研究にあたる作品であることがわかる。湾曲した脊柱をもつ小身の男による知的でありながら官能的でもあるパフォーマンスは、マンリ・キムの芸術のかたわらに置いても、決して見劣りすることはなかった。
このべルナー・タンツターゲにあって、表出的身体をもっ人々による作品に関する限り、芸術として出来が悪い、との非難を甘受しなければならないものは一つとして無かった。ダンスという芸術形態の最低水準を示していたのは、むしろ、マーク・ズィーカレック作の何とも言いようのない月並な二つの作品を演じたフォルクワング・ダンススタジオだった。うつろなにやにや笑いのフォルクワングの肉の亡霊たちの脂ぎったダンスステップや体操は、「障害者」の創造的なエネルギーによって、文字どおり、一掃されてしまったのだった。
べルナー・タンツターゲが示そうとしたのは、陣害をもつ芸術家たちのパフォーマンス芸術は注目するに値する、ということだったろう。しかし、実際に蓋を開けてみるど、遥かにそれ以上のことが証明されてしまったのだ。すなわち、よく訓練されたノーマルな身体は----規格化と美化を志向する現実の趨勢がどうあろうとも----表出的身体に比べて、訴える力においては遥かにひけをとる、ということだ。