金満里ソロ作品

月下咆哮
劇評

「踊り 限界からの美しさ」 イルハム・ホイリ(インドネシア公演)
「平等への咆哮」 ジューン・チェオン(シンガポール公演)
「ある身体障害者の闘争」 セノ・ジョコ・スヨノ、アントン・セプティアン(インドネシア公演)
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インドネシア・ジャカルタ公演(2008)より

「踊り 限界からの美しさ」 イルハム・ホイリ

 実際その美しさとは何か? 美しさとは生きる力、生きる力とはあらゆる限界から解放された創造性である。
 このほどジャカルタのイスマイルマルズキ公園クチル劇場にて1月30−31日に行われたHowl Under the Moon(月下咆哮)と題したソロ公演では、この金の精神は濃く感じられた。この大野慶人の監修を受けた作品は、ジャワやバリでは十分知られたパンジ=スミラン伝説に発想を得ている。この約1時間の作品は、一部が麻痺した身体表現にて演じられており、本当に独特であった。

 パンジスミラン伝説とは、ダハ王国の王女チャンドラ=キラナとカフリパン王国の王子イヌ=クルタパティの愛の物語である。アジェン王女の嫉妬心、そして彼女の父の残酷さに苦しめられ、チャンドラ=キラナは脱出し、パンジ=スミランの名で男性に変装するのであった。 この伝説は金により「狼」、「月」、「変装した魔女」、「心」、そして「パンジ=スミランの愛」の5つの場面に解釈された。各場面で踊り手は、すべてに限界のある身体の動きを通し物語ろうとしていた。
 その弱さを自覚して、金は物語を支える衣装や顔の表現を変えることでパフォーマンスを強めようとしていた。「狼」の場面では、彼女は長い枝の様なもので飾られた髪をつけ現れた。野生の狼の動きを振舞いながら、身体はゆっくりと引きずられていた。 「月」の場面は日本の着物に包まれ、優雅な動きで印象付けられた。金は、「変装した魔女」のために、直ちにコートと帽子を身に着けた。顔、肩、そして手は男性の男らしさを表現した。
 その表現は、その後金がロングジョンに似たぴったりとしたシャツと長ズボンをつけて「心」の場面に息を吹き込む際、しなやかに変わった。「パンジ=スミランの愛」を演じる際、彼女はバリの伝統衣装を身につけた。この女性は、希望と愛にあふれた表情でいくつかのバリ舞踊の動きを合わせた。

限界

 金満里の踊りの動きを通して「月下咆哮」のストーリーを理解するのは容易ではない。ひとつの伝説から出発しているにしても、この作品は常に容易に消化できる現実主義者の話法ではない。麻痺した身体の限界は、彼女の身体表現を通常我々が知る踊りの動きの基準とは異なったものにした。
 踊るとき、実際に金は肩と手、そして、頭を動かすことが可能なだけであった。麻痺した下半身を下から支える力に限界があるため、それさえもゆっくりとなされていた。腹部、尻、足までは、実際上半身の移動についていくだけであった。
 各場面において彼女はさまざまなサインを両手、指、頭を動かし、また、身をよじり、尻を引きずりゆっくりと移動し、あちらこちらへ転がり、伝えようとした。しかし、理解する代わりに、観客はおそらく逆に麻痺したひとりの人間の意気込み、まさに限界のある身体で物語ろうと闘争する意気込みを目にして感動していた。

 金の踊りの美しさは調和的な動きの構成にあるのではなく、心に触れる不正確さにあるのである。麻痺は、それゆえに不思議で予測できない、また、ダンス公演であまり見ることのない動きを彼女が生み出すのを可能にした。それらすべては、生きたすべての感情を込めて演じられているため、より強く感じられた。
 金の感情は、最小限の舞台設定の中、だんだん強く渦巻いていった。背景にはいっぱいに広がった黒幕を掛け、舞台は完全に真っ暗であった。音楽はゆっくりと舞台に広がっていく。スポットライトは暗闇の中一人で身をよじる踊り手を照らしだした。

闘争する

 金満里は、3歳から身体を麻痺させるポリオ(脳性麻痺)をわずらっている。打ちのめされたときもあったが、最後には彼女は再起しようと奮闘した。この女性は、第2次世界大戦時日本で活動した韓国伝統舞踊家、彼女の父である金紅珠から踊ることを習った。
 1983年金は、「障害者」(身体障害)芸術家を団員としたダンスシアターの団体「劇団態変」を旗揚げした。この団体は、もし障害のある身体が表現を行えば、それゆえに予測できない美しさが生まれるだろうと確信した。今日まで、金は、マレーシアやドイツ、ケニア、韓国、そしてスイスなどいくつかの国で上演された54の作品を生み出している。
 日々の活動においては金は常に交代で2人の介護人に助けられている。公演ごとには、この芸術家は、舞台への上り下りのために芸術家を支える役目を持った2〜3人の黒い服を着た裏方に手伝ってもらう。「多くの人が、障害とは醜くて正しくないものだと捉え、そのため隠さなくてはいけないと考える。私はそれに反対する。私は、だからこそ身体の限界から出発し芸術を行っている」、先週の火曜(1月29日)の夕方、ゲネプロが終わった後、金はそう語った。

(インドネシア・Kompas紙 2008年2月3日)
「踊り 限界からの美しさ」 イルハム・ホイリ(インドネシア公演)
「平等への咆哮」 ジューン・チェオン(シンガポール公演)
「ある身体障害者の闘争」 セノ・ジョコ・スヨノ、アントン・セプティアン(インドネシア公演)
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シンガポール公演(2008)より

「平等への咆哮」 ジューン・チェオン

 ダンス作品『月下咆哮』は女性のアイデンティティと自己実現についての短い独立したシーンの連続からなる。
 50分の作品は簡単に観れるものではない。それは時に人間への辛辣な批評を描いているようでもあり、ある時はその好き放題さによって不可解でもあった。

 身体障害者のみで作り上げられた表現芸術グループ・態変の芸術監督であり、また創設者である金満里によって着想され、演じられた本作品は、様々な時代状況の女性を表現することによって、人間存在の本質を探求するものである。
 ポリオにより首から下が麻痺状態の金は最初、身体の前面に結びつけられた赤子を表す巻かれた布と長い衣をまといステージに現れた。空間の方々に向かって目が野性的に光り、彼女は獣のような動作で自身を少し前へ引き寄せる。
 子どもよりも自分自身が生き残ることを選択した母狼を演じながら、彼女はそれに相当するぞっとするような冷たさをにじみ出させていた。まるで、野蛮が文明的な人間性の上に君臨する世界で、迷子になっているかのように。
 後のシーンで、彼女はスーツと着物のような衣装を身に着け、家父長制社会によって如何に女性性が抑圧され束縛されているかを示す。ある印象深いシーンでは、彼女はベージュのボディスーツを着て、ステージを転がって横断していった。身体の線と障害は、観る者に全てにさらけ出された。
 それは勇気ある選択であり、彼女の決然としたごまかしのないパフォーマンスの衝撃は、観客に彼女の身体そしてその結果障害の概念に直面することを強いる。それがあるままに。

(シンガポール・ST Life! 2008年1月28日)
「踊り 限界からの美しさ」 イルハム・ホイリ(インドネシア公演)
「平等への咆哮」 ジューン・チェオン(シンガポール公演)
「ある身体障害者の闘争」 セノ・ジョコ・スヨノ、アントン・セプティアン(インドネシア公演)
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インドネシア・ジャカルタ公演(2008)より

「ある身体障害者の闘争」 セノ・ジョコ・スヨノ、アントン・セプティアン

 日本から来た障害のある一人の踊り手がジャカルタ・イスマイルマルズキ公園で自身のレパートリーを上演した。舞踏の考えに多くの影響を受けている。

 彼女は身障者である。3歳のときから彼女は脳性まひとポリオを患っている。脚は麻痺し、自身の身体を支えるほど強くはない。遠くへ移動するためには彼女はおんぶしてもらうか、車椅子を使わなければならない。

 横浜の芸術関係者の間では、彼女は、身障者たちが身体表現をするための場所を勝ち取ろうと屈せずに闘う人として知られている。彼女は、奇妙を意味する変態という日本語の言葉遊びから劇団態変を結成した。その劇団の中で、彼女は身障者の身体のレパートリーを上演する実験を行った。

 そしてその夜イスマイルマルズキ公園で、この韓国系女性は作品のひとつである「月下咆哮」を上演した。床で、最初彼女は光の方へ身体を引きずった。あたまは葦で飾られている。彼女は泣くように瞼を何度も拭いた。舞台の真ん中で、そして、両手を左右に回転させ音楽について行った。彼女はクバヤに似た衣装に包まれた身体を何度も転がした。音楽が止んだ瞬間、頭を照明の光線の方へ向けると同時に、彼女は狼のように咆哮した。

 金満里がその女性である。年は54歳。彼女がどうやって身体を表現しようとするのかを見たとき、不思議な感じがあった。舞台で彼女が座ったまま少しずつ移動するのを私たちは見た。脚はまったく動かない。彼女は手で床を突いて身体を少し移動させた。その弱い脚を、しかし、彼女は頭に近い背中の後ろへまで折り曲げることができ、奇妙な身体のイメージを創造した。実際均整が取れていないその身体の形はますます不思議に見えた。その不思議さこそが、閉じ込めておきたくないものなのだ。身障者の身体というのは悪い何か、隠さなければならない何かであるという汚名をこれまで社会は着せてきたと彼女は見ている。ましてや、ある空間の世界である踊りの世界では、完璧な身体は賛美の的となっていた。にもかかわらず、金によれば、身障者の身体というのは健常者にはない可能性を持っているのである。完璧な身体とは異なる身障者の身体の特徴はあるのだ。もし踊りの真髄が身体の特質の追求であるならば、彼女によれば、身障者の身体はその様相を豊かにすることができる。

 「最初は私自身の身体の生体組織を知りたかったのです」、彼女は語った。彼女は最初身障者の身体運動を行った。そのうちに彼女はひとつの作品を考えるようになった。一つの振り付け。彼女は、身障者の身体は本格的な芸術に入れることができると主張し続けた。幸運にも、横浜に大野一雄という名の日本ダンス界の「巨人」が住んでいた。彼は舞踏の先駆者として知られていた。脆弱さや陰鬱さ、不鮮明さ、人の死に際の苦しみなどの面を追求した、日本の踊りへのある抵抗運動である。彼らは身体の美しさを強調するバレエのイデオロギーを拒否した。大野の年齢は現在101歳である。

 「私はあの方にとてもお世話になりました」、金は語った。1998年、その伝説的舞踏家は、わが母というタイトルの金の作品を監修しさえしたことがある。大野は、彼女が認めるには、その作品に多くのインスピレーションを与えた。今回大野一雄の息子、大野慶人が月下咆哮の監修者となった。批評家たちは、舞踏とは「醜い者の美学」の精神を表現するものであると捉えている。その夜、その精神こそが金によって体現されたようだった。彼女はレパートリーにせりふを加えない。障害のある身体それだけに頼るのである。その咆哮のあと、彼女は衣装を変えた。彼女は、そして、背が低いマフィアのように黒いウールの帽子とベストを着て現れた。クラシック音楽が大きく波うった。彼女は座り、少しずつ移動し、まるでとあるバーの暗闇から見つめるように落ち着いていた。そして彼女は、胸当てと布のベールをかぶり再び現れた。バリ音楽が空間に注し込んできた。手は閉じたり開いたりし、布をもてあそんだ。肩はぴくぴくと動いた。そして手は羽ばたきするように揺れ動かした。「これは紆余曲折の多い一人の女性の道程を表現しているのです」、彼女は語った。

 金満里は、第2次世界大戦の時代に日本で伝統舞踊を積極的に踊っていた韓国の舞踊家である母の金紅珠から芸術の血を受け継いでいた。日本で金は生まれそして育ちもした。そこでは、彼女は幼いころから母の公演をいつも見ていた。彼女は外国の神話を読むのも好きであった。例えば月下咆哮のインスピレーションは、ある本で読んだパンジ=スミランの物語である。

 「私は、踊りの世界の視点を変えたい」、彼女は語った。どうして踊りは常にきれいな面それだけからしか身体を表現しないのか。

(インドネシア・Tempo誌 2008年2月10日)

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