金滿里のページ

2012年からの態変 「試験管」まで


 私にとって態変で作品を創る行為は、時代を背負い歴史を背負う一人の人間として悩み苦しみそれでも未来を掴もうとする、使命発見の旅のようなものだ。ここ4年来、時代の荒波にさらされての劇団運営の危機という具体的な事件に立ち向かう中で、作品発表においても芸術の力を還元させようというように変化してきたと思う。これは態変芸術の存在を賭けて演り抜くんだという欲が、良い意味で自覚できた過程だった。
 運営の危機以降の劇団態変新作発表について、此処に振り返って記録しておきたい。


 2011年3月11日に起きた東日本大震災と福島原発爆発事故で、放射能汚染という深刻な事態に日本全体が突き落とされた。その年の秋に、態変旗揚げ以来の名役者・福森慶之介の末期癌という、態変にとっての大きな衝撃が走る。福森は自らの癌に対し、年齢と障碍を鑑み積極的医療は受けず、自然に余命を全うすることを決める。おりしも、翌春に劇団の場維持への行政補助打ち切りが決まっていて劇団全体に動揺が走っていた矢先である。福森は、自分の余命がないことで、劇団の動揺が倍になりそのことで態変が消えてしまうことだけは絶対に避けたいと強く私に伝えていた。そして逆転の発想を私たちは選んだ。それは、福森の最後となるかもしれない舞台を、名役者福森慶之介此処に在りきとその存在を刻む公演としてやる、福森曰く「それが、却って態変存続への起爆剤となるような、そんな舞台を作る」ことを決めた。劇団員一丸となって取り組んだ福森との舞台作りは壮絶であった。福森の生命まるごとを観客へ届け成就させるために。この真の芸術の在り方を通し劇団員が掴んだものは大きい。そして態変の往く先を、福森に託されるように受け取った。こうして、2012年2月「一世一代福森慶之介 又、何処かで」2ステージの公演を、アイホールを埋める満員の観客を迎えて挙行。その終演の僅か35日後、震災から丁度一年後の2012年3月11日、福森慶之介は見事な人生をやり切り静かに永眠した。ご遺族の意志にて、態変の手で葬儀を執り行わせていただき多くの方に参列していただいた。
 2012年4月からいよいよ態変の自主運営という新システムが始まる。これは、厚生省の福祉制度の改訂により、これまで障害者自立支援作業所として受けることのできていた補助を打ち切られ、結果的に稽古場が維持できず、そうなると態変の存続自体が危機に瀕する事態となった。その打開策が、賛助会員を募り場の維持費をカンパしていただき、運営していこうというもの。しかし、それまで作業所職員として有給で常駐していた健常者スタッフを置けなくなったことは、身障者にとって大きなダメージとなり、この状況は続いている。


 自主運営になった最初の公演が2012年10月「虎視眈眈」である。
 「虎視眈眈」は物語性に軸足をおきながら、観る側へはかなりの抽象性で迫った作品である。人間の生み出した文明は発達の末に破綻へと向かっている、という未来への直感で、人間を破局的退廃として描き、それに対峙する価値を、野生の本能を取り戻す動物の視点の獲得に求めた作品だ。文明の人間と野生の動物が拮抗するプロセス。それは創造と破壊の限りなく続く物語。どうしようもない諦めが底に張り付く洞窟の中で、それでも外の世界へ飛び出さないと死が待つだけの、傷付いた野生が虎視眈眈と外界を狙う最後の勢い、を希求した。それは、全てを喪くした無からの再生。有象無象の目撃の眼光によってそれはジッと凝視される、というエンディングであった。これはまさしく、2011年3月11日に起きた東日本大震災とその後の福島原発爆発事故での、放射能汚染の問題にぽつねんと置き去りにされた福島の動物たちであり、劇団の運命に繋がる姿であり、人間総体への生命の行方を凝視する問い掛けであった。

 2013年2月「ミズスマシ」を上演。この作品は、放射能汚染という人類の大罪から、まだ自然界にとって人間は存在していいのかどうか、を問題にした。舞台では、伝えたいイメージのみをオムニバス形式に抽象身体表現で繋げるという「銀河叛乱」に近いものを意識し、それでいながらそれ以上の、私のソロ表現で培ってきた〈魂の表現〉を今度は態変パフォーマーに求める段階にきた画期的な作品である。作品は、人間は地球からそして宇宙から必要とされているのだろうかという問い掛けを、人類が滅亡した地球の、偶然に生き残った数人の生き継者、そしてそれも消えDNAとして氷河に閉じ込められたものが何千年もの後に水に溶けて…、その時はDNAは何を記憶として伝承するのか、という問いかけである。音楽にウォン・ウィンツァンのピアノの生演奏がエリック・サティとウィンツァンの即興による現代音楽で織りなし、これは背景音楽には決してとどまらず舞台の身体表現と拮抗し合い互いに独立し空間を構成することに成功した。舞台美術に榎忠の金属オブジェが怪しく宇宙と地球を宙吊りにさせる空間を出現させ、そこに三浦あさこの照明が水の透明感と人類の危ういゆらぎを増幅する、といった夢のような緊張の舞台だった。
 人間と動物の間で揺れながら本能回帰した「虎視眈眈」から、「ミズスマシ」は地球と宇宙の間で宙吊りになるヒトという種への疑問、それをDNAというミクロの世界がマクロコスモスへと向う双方向への提示としたかった。私はこの作品から、態変演者に対しそれまで使っていた役者という呼び方を、パフォーマーという名称に変えた。それ程、この作品で舞台に存在する態変の身体性が役柄に魂が入る表現へと、格段に変化した。

 2014年3月「Over the Rainbow ----虹の彼方に」は、劇団態変旗揚げから30周年の記念として上演した。もともと私の作品作りは主役をおかなかった。理由は2つ。私が態変でやりたいことの大きな一つに、重度身体障碍の身体を表現として見れる〈価値観の転倒〉がある。主役と脇役という作りの戯曲は〈普通〉が前提である。それは、観客の大多数である健常者視点にとっての社会を一定担わなければ成り立たない。なのでその方法は取らない。もう一つに、主役・脇役という役割分担自体が舞台におけるヒエラルキーで、それは取りたくない。この二つがあった。しかし態変表現の発展として物語性を「マハラバ伝説」という作品で初めて演ったときにその壁を破った。それは、主役に重度身障者を当てる、という発想の逆転に行き当たる時期だったこともある。台詞を全く使わず身体表現だけで物語性を成立させる試みを態変は欧州での公演で最初に行い、成功させた。しかし、そうすれば、個人の演技は修練される反面、態変特有の群舞の面が、おろそかになっていた。「Over the Rainbow ----虹の彼方に」では、そこを超えたかった。物語性を構成的群舞(コロス)で成立させる、これまで態変では取ってこなかった、ダンス的な手法である。
 音楽を山本公成率いるジャズユニット生演奏で、舞台は極シンプルに装置も身体性の一部として美術も天井の一部にひっそりと、全編には複数での構成的な態変パフォーマーのコロスで行った。テーマは異星人の視点である。地球は、人類は全滅してしまい毒の星として他の宇宙の星から要らなくなった宇宙人が捨てられてくる、廃棄場という荒廃の一途と化している。異星人同士の宇宙人の目を通し、生き残りを懸けた再生で必要になるのは共通項。それを、虹、に象徴したエンディングにした。虹を見つけ、共に一緒の方向へ進んでいける、という感動的なシーンとして作った。

 2014年10月「ルンタ(風の馬)~いい風よ吹け~」を上演。人類崩壊した地球を宇宙から逆に、宇宙人のまなざしで地球を見てみる「Over the Rainbow ----虹の彼方に」まで行き着くと、今度はとても人間的でそれも素朴に祈りを持って質素に生きる人としてのあるべき姿、をやりたくなった作品だ。厳しい自然や祈りをテーマに死の側から生を見る死生観を、チベット密教の『死者の書』の世界に想を得て、その上で宇宙にとって人類を抹殺させるのであれば、人類は宇宙に牙を剥いてでも存在を賭けた挑戦をする、という人類の絶対肯定が初めて出てきた作品だ。「ミズスマシ」と「Over the Rainbow ----虹の彼方に」を経て、パフォーマー一人ひとり全員にきっちりとしたソロシーンを持たせることでこの表現を果たせた。しかもその上で、群舞へもこれまで態変でやってこれなかった、一瞬にして形を構成させる大掛かりなものも取り入れ、パフォーマーにとってやり甲斐と力量が試され試練承知で向かった作品となった。
 音楽には「ミズスマシ」のウォン・ウィンツァンと「Over the Rainbow ----虹の彼方に」の山本公成が組み即興性の強い生演奏で、美術絵画にチベット風景をチベット仏画絵師のウゲン・ナムゲンが描きおろした。最後に天井一面にタイトルにしたルンタ(チベットで風の多い場所に張り巡らせる、祈りの象徴の小さな旗の列)がはためき、現代の嫌な世相を一新させいい風を吹かせようとする空間創りをした。


 2015年3月「試験管」の上演。放射能問題・世界の右傾化・日本の軍国主義復興・レイシズムの台頭と、人間を取り巻く世相の酷さは留まるどころか加速の一途である。投げ出したくも投げ出せない現状を只追認していくだけの人間は、そんなにひ弱な存在だけで終るのか? 「虎視眈眈」のときから私を捉えていたそんな問いがずっとあった。人類の繁栄は、もう自然のバランスを崩す飽和状態まできていて、地球にとって人類はほんの一時を担い後は消え行くのは自明である。だが人類は原発を手にした愚行で、自滅への加速は増している。それが、宇宙の法則というものだろうか…。そんな問掛けを作品を作りながらここ3年間私はやってきた。そしてこの「試験管」にきて、それまでの疑問に返ってきた答えがあった。それは、何にせよ事象には悪い方と良い方へと向かわせる両義性がある。決定的になる前の時点で、変化に気づく信号がある筈。その発する信号を逃さずにキャッチし良い方向へ向かわせる為の適切なターニングポイントがある筈。
 それには感情や主観の入り込まない、公平な科学分析が必要。そこに現れる化学変化を、良い方向へ起こさせることができるのは、人間が人間としてあるべき方向なのだ。それを科学を専門家任せにし、良い方向へ向かわせる知恵の結集を一人ひとりは放棄していたのではないか、という気付きがあった。
 態変の表現は、魂の表現、ということで科学から遠いと思われがちだが、実は身障者の身体は無意識レベルではあるが、科学を瞬時に行っている身体として日常を生きている。態変では、自己の身体と向き合い無意識を意識化することで、表現へと引き上げていくことをやる。それが既に科学していることなのだ。科学への目覚めを、態変の身体でならば物語性で行うよりも、抽象表現で徹底して行う方がよりダイレクトに伝わる。態変の自主運営のこの3年間の試行錯誤が、身体表現としても社会という大きなモンスターと取っ組み合いながら、一つの到達点に来たのがこの「試験管」だった。そして態変の最前衛の作品にして実は、態変旗揚げの作品「色は臭へど」にあった表現、原初的起爆の源泉〈恨み〉のエネルギーをぶつける、という原点回帰をやりたいと思った。エンディングでのシーンで舞台をパフォーマーが転がり下に落下、そのまま客席に乱入するというところだ。傍観者としての観客がその立場を一転させ、見られ晒される。そうすることで観客の視点の暴力性を可視化させ、その関係性をも越えようとする行為である。
 現在私が演出してる態変の最先端表現の境地は、重力と皮膚で殆どの表現を構成し形作ること。「試験管」の舞台で、皮膚を転がすことは全ての物との接触であり、又人間性も物として越えていく、自己を他者へ移行させる瞬間がある。それは、どこまでも開示的であリ、その転がる行為はめくり上げていくこと。床面までも(実際に装置で舞台床を上下させた)めくり上げ地面をめくり上げ、それは客席まで巻き込み伸び、ホールを越え街に繰り出し、地球をめくり上げ伸ばし、宇宙の空間をめくり上げ変化をもたらさずには済まないエネルギーの坩堝(るつぼ)である。


 駆け足でまとめたが、態変の到達点を記録してみると、これは確かに重要なターニングポイントに来れた、ということだと判る。そして、これは何といっても、態変の作品発表に思いを寄せてくださった観客あってのことだと感謝する次第である。そして、この先の態変の作品発表へ、どんなメッセージを込めていくのか、その挑戦を始める起点でもある。


「異文化の交差点・イマージュ」vol.62 2015年夏