劇団態変『ファン・ウンド潜伏記』のためのエキストラ出演者ワークショップがノドゥル夜学校でおこなわれ、参加者の中から五人の夜学生が抜擢され、ソウル・KOUS(韓国文化の家)と固城での公演の舞台に上がることとなった。
ノドゥル夜学にとって、劇団態変と出会い何度も練習を重ねるということは初めての貴重な経験であった。ノドゥルは韓国内で学芸会程度のレベルでは演劇を発表するという経験はあったが、外国の劇団の公演に一部分ではあれ参加するということは初めてだったので、胸のときめきと「どうなるだろうか」という気がかりと期待とが交差した時間を過ごすこととなった。
公演は至上の感動だった。
特に、自身の身体に対して自信がなく身体を他人に見せたがらない重度障害者が、自身の身体で赤裸々に表現しありのままを観せる行為で、障害者の身体もあのように美しいものであり得るのだと示していて、感動だった。身振りの一つ一つが、これまでの弱気だった障害者の身体でなく、身体表現を通じて多様な感情を表現できていたことに驚嘆した。そして美しかった。
微細な身振りの一つ一つが視線を集中させた。大きい身振りは大きい身振りの通り、小さい身振りは小さい身振りの通り、力を発揮して人生を現しているのだった。
この公演を準備する過程、そして公演の舞台に上がることで、重度障害者が多くのことを感じただろう。多くのことを学ぶ機会になったことを祈る。韓国社会では重度障害者たちは幼い時に捨てられ施設に収容されて生きてきたり、家にいても設備は不足し障害者への偏見の視線に晒され放置されてきた。こういう社会的状況で重度障害者は自身の人生の主人公として生きていくことができなかった。存在感がなかったのだ。
今回の公演を通じて、責任を持って自身が主体になって表現する活動から学ぶ経験になっただろう。動員されてただ誰かの公演を観る客体ではなく、自身が直に参加して自身の努力により結果が変化することを感じることのできる演劇空間の主体になる経験だ。その役割が大きくとも小さくとも『ファン・ウンド潜伏記』公演で障害の身体が言語のごとく雄弁に表現していたことがまた印象深かった。
2005年に韓国で障害者が介助を受ける権利のために麻浦大橋を占拠して橋の上を這った闘争の記録がある。その時多くの重度障害者が車イスから降りて、活動支援を受ける権利を叫んで、這った。このように障害者が赤裸々に自身の身体を晒した私たちの闘争の方式と、演劇の表現が共有された瞬間だった。これまで息を殺して生きてきた重度障害者たちが、歴史の中に生きているという躍動的な身振りである。重度障害者たちも存分に多様なやり方で美しい人生を生きていく権利があり、その可能性もあるということを教えてくれる舞台だった。
ここにノドゥル障害者夜学の学生達が共に参加できたことは喜びだ。