情報誌IMAJU vol.51
特集・「ファン・ウンド潜伏記」韓国2都市公演


「軽やかに国境なき世界に飛翔」
 クロスオーバー談義・趙韓恵浄×金満里

05年から07年にわたるマレーシアプロジェクトに続いて2回目の海外プロジェクトでした。今回の韓国プロジェクトは、09年の秋に金満里が訪れた固城から芽を吹き出したのです。10年の5月以降にワークショップを重ねつつ、エキストラと黒子の現地育成をすすめました。その育成において、劇団態変が何を持って臨んだのか、若い人々と出会うことによって、今回のプロジェクトにどのような協働作業にいたったのか。劇団態変が未来に向けた眼差しは、趙韓恵浄氏と金満里の対話での結実として、韓日から世界に向かうものが見え始めたと思います。今回の韓国プロジェクトの詳しい経過は他の特集記事に譲りますが、この対談がソウル公演直後に収録を、そして、対談後の文字化の作業には、多くの方々のお力添えをいただき感謝の念でいっぱいです。(編集部)

趙韓恵浄
1948年生まれ。延世大学社会学科教授。社会学、文化人類学。上野千鶴子との往復書簡『ことばは届くか』(岩波書店)が日本語で読める。韓国のフェミニストの父母姓並記運動に参与、母の姓「韓」をくわえ趙韓姓を筆名としている。

金  今回、上野千鶴子さんの紹介から趙韓先生、そしてハジャセンターとご縁ができ、学生さんたちが黒子を引き受けてくれることになりましたが、わたしたちにとっては本当に、彗星のごとくハジャが現れたという感じだったんです。韓国で黒子を募集するというプランを立てたものの応募者が現れるかは不安要素だったんですよ。とても感謝しています。
 ハジャの裏方参加には非常に助けられ、そのおかげで韓国の障害者の出演を支えきれたと言えます。私は今回のプロジェクトが、一過性に終わるのではなく、韓国に蒔くことができた種から芽が出ていくだろうとすごく期待している気持ちがあります。
 さて、今回の対談でテーマにしたいことのひとつに、特殊性ということがあります。まず、劇団態変は、人間の価値観そのものを大きく変え得る芸術を志して世界各地で公演をしてきたわけですが、しかしどうしても障害者が大変な思いをしながら、周りの人に迷惑をかけながら生きていくという図式は拭い去れません。そういう意味で、態変のやっている芸術が非常に特殊な存在として位置してしまうということが実際あると思っています。ですから、態変の芸術を、そのまま芸術として受け止められる土壌を作るためにいろんな戦略を立ててやっているわけなんです。
 一方で、このハジャはフリースクールとして韓国社会の中では特殊な存在として位置してしまっているんではないかと思うんです。どうしても特殊なものとして見られてしまいがちな劇団態変とハジャ。その2つが、共同企画とも言えるようなパートナーシップで公演を実現したわけですが、それは世間からみると「特殊な集団がなにかやっている」というレッテル貼りに押し込められるんじゃないかと危惧しています。どう思われますか?

大学をツアー公演してみては

趙韓 私はまず、28年間、このような劇団が存在したことに驚いています。「障害者ということが強調されることに抵抗がある」というお話でしたが、韓国ではまだそういうところに感動を覚えます。日本に行くと、障害者が街を行き来していたり、バスに乗っていたりするのをよく見かけますが、韓国では街で障害者に出会うことがそんなに普通ではありません。最近になってからは変化が出来はじめていますが。韓国と比べて、日本の障害者は権利が守られているようにみえます。今回の公演を見ながら改めてそれを確認することができました。
 韓国は整形手術天国といわれています。最近はさらにあらゆるものを標準に合わせて矯正しようとする傾向が強くなっています。それは高度集約的近代化の結果だろうと思います。ですので、今回の公演を観て多くの人がいろんな多様性と可能性を考え、物事をありのままで受け止めるということを知って、とてもいい経験になったと思います。
 作品については、私も演劇をよく観ますが、今回の作品のようなものは初めてでした。イスラエルの障害者劇団である、Nalaga'atというチームが素晴らしい公演を披露したことがありましたが、今回態変の公演から感じるものはなんか少し違ったのです。上野先生も仰っていましたが、劇団態変の公演を観て公演場を出る時、私たち健常者のほうが逆に身体が硬くなっていて、「標準化」されていて、何かが足りないなという気がしました。みんな同じ感覚と姿に固定されているのが異常だなと、居心地悪さを感じたんですね。公演を見てから、視野がぱっと広くなるような感じがしました。この公演を見ながら、韓国の大学をツアーする公演をしたらいいなと思いました。画一化され、先のことばかり見ている、美を同じ基準をもって定義する韓国の若者がみんなこの公演を見たら、なにか感じることがあると思いました。
 ただし、今回の公演の素材やテーマについては一つ意見を出したいと思います。韓国でも民族主義的運動という素材が前に立つ時は、人々がそれにあまり見ようとしない傾向があります。これまでの民族主義論議がすごく陳腐であって、最近は保守主義者たちの専用品のようになっているからです。今回の「ファン・ウンド潜伏記」の題材は民族主義的なもののように見えたので、人々の間にアピールするのが難しかったかもしれません。

金  私も、もともとは民族主義的なもの国家主義的なものは否定して、違う生き方、自分の美意識を創ってきたのが基本姿勢なんです。だけど、今回はファン・ウンドという実在の人物を題材にしてみましたので、そういう部分を取り込まざるを得なかったというのがあります。今回の作品で本当にやりたかったのは、ファン・ウンドという個人を取り上げることで普遍的なものが立ち上がるような作品にすることだったんです。

趙韓 私はこの作品が芸術的にすごくきれいな部分をよく観せてくれた作品だと思っています。例えば、繭を転がす場面とか、労働についての表現がとても卓越でした。その場面ひとつひとつが美しく、素晴らしかったので、もし少し違うテーマだったら韓国でもっと旋風的人気を得られたんじゃないかな、という心残りがありますね。「障害者がつくった芸術」ではなく「普遍的な芸術」をつくりたいという望みに照らしても、公演の時間を少し短くするとして、今の韓国の観客が見たがるテーマ、例えば神話や寓話のような物語を借りて、人生のもつ多様性と共存について表現したら、爆発的人気を得ただろうと思います。

金  芸術が青少年に与える影響ということを考えていきたいと思います。まずは、今回のハジャの生徒が態変の芸術創造の現場に参加したことを振り返って、ということですが、ハジャの生徒はやっぱり特殊やと思います。フリースクールの特殊性というのもあるんですが、東京にも世界のあちこちにもあるフリースクールとは違う何かがあるなあと。その特殊性というのは韓国の世界での位置、南北分断の現実からくる重圧、という中で一元的な物の見方に走りがちな社会で、そういう中でもがき苦しんでいる若者がいる。そういう中でもどういうふうに自分の新しい視野を持つのか、世界を自分の中に抱えていくかというところで、ハジャの若者独特な柔軟性であったり、強靭性であったりということなのかと、今回参加してくれた学生を見ていて思うんです。趙韓先生はどう思いますか?

若者達が苦しむ状況下から

趙韓 基本的には私は、「民族性」「国民性」のような、概念で理解しやすい考え方は避けています。あらゆる社会は絶えず変わっていくし、私たちはコミュニケーションのために両社会の違いを話しますが、実は差異よりは共通点がもっと多いのです。もっと言えば、近代化の速度の差による差異がもっと多いですね。個人化の程度とか社会への参加度みたいなものも、民族性とは無関係な近代化が進行された方式と段階に深く関係しています。私は韓日交流についてよく考えているほうで、特に上野さんと作業しながら、2006年にはピースボートに乗ったり、2009年から交流している「ナマケモノ倶楽部」によっていろんな方法について考えています。参考になるかと思って、ピースボートに乗ったとき書いた文章を別途にお送りしますね。参考してくださると幸いです。上野さんも仰っていたように、日本の女性運動が挙国運動を展開した時期があったし、韓国にもありました。若者たちが非常に政治的になる時期も、そうじゃない時期もあります。
 それは少し長い時間性のなかでみるべき特徴でもありますね。日本の場合、若者のエネルギーはバブルが消えた後、徐々に弱まっていく傾向を見せましたね。私はこのような傾きも、東北大震災の後はもっと変化が起るだろうと見ていますし、そうなることを望んでいます。
 ここで私が強調したい点は、両国間の差ではなく、お互いに似ている若者の存在が生まれていることです。うちのハジャ作業場学校は初期から東京シューレと緊密に協力してきたし、お互いを参照してきました。お互いの持つエネルギーのレベルが少し違ったり、スピードも違ったりしますが、それは大きな差ではないと思います。世界でも日本でも若者を選ぶと同時に排除していく極端的な状況が演出されています。いわゆる新自由化主義ですね。このような状況の中で若者たちは非常に苦しんでいます。その中を浮遊している若者たちは、時にはきつい訓練と労働に疲れはてて、中にはさっぱり諦める人も数多く出ています。そのどちらかでもない生を望む人が来るところがハジャセンターです。一流の大学だけを目標とする既存の学校を見限った学生たちですね。積極的に拒否した人もいるし、ただ身体がそのような体制に合わなくてハジャにきた人もいますが、みんな主流社会に編入したいための盲目的競争をやめているので、少しは「省察的」で、多様性を尊重している感覚を持っています。
 実は私も今度うちの学生たちが障害者の俳優さんたちの食事を手伝ったり、友達のように付き合う姿をみて感動しました。とても素晴らしいと思いました。このようなハジャ作業場学校のようなところは韓国だけではなく、モスコフィルムスクールというところもありますけれど、確信するのには、向うの学生ならハジャの学生と変わらずに黒子の役がちゃんとできると思います。モスコにぜひ一度訪問してみてください。私がモスコフィルム学校に紹介します。
 作業場学校の学生たちは一応、難しい決心の経験をしています。主流に入らなくてもいいという決心ですね。ですので、苦しんでいる友達がいたら、まず自分のことはしばらく置いておいて、なんか一緒にやってみようとする心を持つようになりました。うちの学生のことながら、私自身もすごく誇りを感じています。
 今日の世界では国家中心という時代は終わったとよく言われています。ある面ではそうですね。それからグローバル、グローバルというけれども、その時のグローバルは市場が中心ですね。ですから、いろんな新しい試みが必要な時だと思います。私はこのような時は却って国家単位に縛られていない市民たちが、自分たちが楽しんでいること、自分たちに意味のあることを通して出会うことが大事だと思っています。韓国と日本の代表という抽象的な存在が出会うことではなく、人と人の出会いが新しい世界をつくりだせることを望んでいます。一緒に苦しみを分かち合いながら芸術をつくっていく人と人の出会い。小さなことと小さなことがちゃんと出会うこと、それは小さいけれど実は大事な一歩だと思います。

(つづきは情報誌IMAJU vol.51本誌に)



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