大きく2点の動機
今どういう時代に生きているのか、そういうリアリティをこの『虎視眈眈』で描きたいと思た。
とにかく生命なのだ。生命の本能を肯定する自然の力を謳歌するのに私にとって、身障者の身体は 打って付けだと思う。
原発の爆発で、安全神話の嘘が明るみになったという現実は、人間の創りあげてきたこの文明社会の方向が、根底から揺らぎ始めているということ。
自然の支配者として我がもの顔で傲慢に振舞ってきた人間が、引き起こした失敗へ、自然から制裁を受ける日はそう遠くない。
人間の進歩や開発といった一方向でしかない、世界を作り上げてきた、文明という名の蜃気楼。その裏で支配された側の、自然の本能や野生や生命態の循環法則が、息を吹き返し柔な文明の蜃気楼が泡と消える時がくる。
宇宙からすると、地球という星は人間の世界を飲み込んで、星として自然であれば良いだけだ。
宇宙の法則からすると、人間の世界があろうとなかろうと、問題ではない。
その宇宙も、常に両極に大きく別れ、その綱引きで成り立っている。
人間にとって最も身近な両極とは、女と男という性である、としたら。人間世界のこの綱引きを強くすれば、人間が自然へもっと同化かできる手だてがあり、宇宙の一部になれるかもしれない。
それには幼子の眼差しの普遍性が大事なような気がする。
私は、そんな遊びの心を取り戻し、楽しんでこの作品を作り上げた。
悲劇でも喜劇でもなく、実直に穴蔵からの外を、虎視眈眈と…‥‥、見ようとして。
2012.9.28 金滿里
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