「喰う」に付いて


 ここ10年間物語を態変の身体表現で伝えることに躍起になって作品台本を書いてきた。
 それは大きな発見の連続だった。言葉ではなく身体で伝えたいことを明確にするということは、抽象の捉え方が勝負だということ。実際には表現しないが、シーン設定として説明は多くなる。それだけ具体により近付ける努力を台本上でしなければ、身体表現は抽象として立ち上がらない。
 それら具体を抽象化するこれまで鍛えた役者の身体を土台に、演出からの作品意図を役者に充分に伝えながら役者の身体と向き合いたい。そして更なる抽象表現を追求したいという衝動が、私の中でフツフツと湧き出してきた。

 「喰う」というと、きっと人の本質に関わる行為を連想されるだろう。しかし今回、具体的なものは一切出さない。
 人間心理の深層があらわになる恐ろしさが「喰う」という行為には、潜んでいる。それをこれまでの鍛えてきた態変の身体表現で、わざとらしさのない自然体に近い、淡々と身体が紡いでくれるうねりの中で、恐ろしさをおかしみに変えてしまう日常のかけがえのなさ、それらの紙一重を身体に託し表現したいと思う。

 私が観たい、態変の身体としてある刹那を、「喰う」に乗せて象徴的に描けたらと、あまり難しく考えず楽しんで作っている。
 きっとこの一時、私たちに身を委ね、一緒に揺られどこまでも行ってしまいたい衝動に、観たあなたも駆られ一緒に行けるだろうと、ほくそ笑む楽しい日々である。


金満里

このページを閉じる