10/14(金)
清水焼団地でもイベントがあるし(雨が降って今日は大変だっただろう)、アートNPOリンク関係でも西成区でシンポジウムがあるし、秋のど真ん中は何かと重なっていることしきりである。
本当は、劇団態変の新作である『喰う』(作・演出・出演:金満里)を全公演みたぐらいなのだが、この夜しか行けないのである(イマージュにFAX用紙が挟まっているのを見落としていて制作の井上朋子さんらに迷惑をかける)。90分。今日は10分近く押して開始。ぎっしり満席が嬉しい。
今回はじめての試みだったのかも知れないが、500円の有料パンフレットが充実していて、これはとても貴重な資料であるし(1983-2011の上演歴を見るととんでもない質量であることが改めて確認できる)、終わった後、こういうシーン名だったのか、そうそう、この曲だったなあ、とか思い出すことしきりである。
アイホールはやはりいい。照明が葛西健一さんで(塚脇淳さんの前方の鉄の彫刻が赤い光に照らされた時、ざわっと心の奥が鳴ったのを自覚した)、音響が加藤陽一郎さん。生のピアノ(伊東乾さんが、ショパンやドビュッシー、ベートーヴェンを演奏するというのはとてもレアなのだそうだ。それ以外は20世紀の有名な作曲家のもの。ブーレーズとかメシアンとかバルトーク)とテープ(伊東さん作曲のもの)が、交替であるが、ほとんど違和感がなく続いていく。舞台監督は吉田顕さん(塚本修さんは客席)。
広い舞台。高い天井。テント公演ももちろんいいが、このような広い空間でしっかりと態変の役者さんたちのソロを中心に、その身体のすみずみの形状と動き、特色、工夫の跡を見ていくのはとても心地のいいものだ。シンプルな上手から下手の移動一つをとっても、一人ひとり、その時その時で変わっていくことがわかるし想像できるのだ。
黒子さんも一箇所、発話するシーンがあって、とても新鮮だった。もちろん、舞台上に役者を連れ出し、また引き上げるという基本の作業や、衣装の着替え、釣り物の操作など舞台裏は実にしんどくも、てんやわんやな世界だったと思われるが、舞台では何食わぬ顔で、上手に役者さんを最後は並ばせていて、じつに嬉しかった。
ブラボーとかスタンディングオベーションとかしたいのだがちょっと遠慮していて、でも、いつもは自己紹介する満里さんがそれを忘れているなと思った時、大声で、「作、演出、出演、金満里!」って声を掛けたかったなあとはちょっと思った。もちろん、再演希望。その前に全国巡回を!
見ている間のつぶやき、想念、妄想をちょびっと・・・w・・・以下、ネタバレ注意ww
☆ 上からの光が座っている人を照らすだけでどうしてわなわなと震えがくるのか。それにしても、後半のグランドピアノの角の反射光がきれいだった。
☆ 喰うが空に繋がるなと思っていたら、パンフにそれがすでに書かれていた。喰うき?空気。喰うそうだね、うん、空想するのがいいね・・・
☆ 喰いだおれ、喰らいつく、喰えんやつ、その手は喰わない、喰わずぎらい、割を喰う、一発喰わしてやれ、喰うや喰わずで、喰う寝る・・つい言葉遊びする自分がいて・・40分過ぎ、月を喰う金満里さんの指の先から目が離れなくなると、もう言葉の世界から離脱していき、ただただ、眺めている後半へ。
☆ 賢治の注文の多い料理点を何故か思った。喰っているつもりで、喰われているというフレーズとともに。これは、電気を使っていると思っているが、実は電気に使われてしまっているということとも繋がっていく、自分的にだけだが。
☆ 大きな牛か・・・ぼくは、クラゲが大きな胃袋になって人間を喰っている妄想になっていた。自分の胃袋が自分を食べてしまうという感じか。その胃袋を天にぶらさげて、ほらほら、これがぼくの胃袋っていっているような・・・
☆ 向井のぞみさんの移動のパタンが実にリズミカルできれいな繰り返しになっている。
☆ 前方の鉄の彫刻はクジラの肋骨にかってに見立てていた。小泉さんがこれと絡むシーンからは、やはり、境界線、あるいは、バリアのような感じもしたし、逆に避難所のようなものにも見えてくる。小泉さんの脚の回転技がステキ。