金満里ソロ公演

ウリ・オモニ

劇評


■2015年「イマージュ」63号  ■2006年クアラルンプール/New STRAITS TIMES電子版  ■2006年クアラルンプール/The Star紙 
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ウリ オモニ ―私たちの帰る場所   李 信 恵

 「信恵、ウリオモニの劇評を書いて」と楽日の直後の打ち上げの場所で、ワインを片手に舞台の余韻に浸っていたら、金滿里オンニ[註]に突然云われた。「うん」と即答したものの、そのあとですごく悩んだ。感じたことを言葉にするのって、時々難しい。ましてや、劇団態変や金滿里オンニの舞台。簡単にわかったふりをしては書けない。公演は何度も観たけど、いつも何かを突き付けられ、試されているような気がする。テーマはその回ごとに違うけど、少し意地悪で怖い。その怖さは何なんだろう。
 この作品は、金滿里オンニのオモニ、金紅珠氏にささげられたものでもある。1998年に86歳で亡くなられたが、このオモニは朝鮮半島の古典舞踊、歌、楽器などの才能にあふれた芸術家だったという。植民地支配下の中、日本へと渡り、戦時下でも民族の魂を受け継いで、伝え続けた人だという話も聞いた。
 また、舞踏の大野一雄氏の代表作に「わたしのお母さん」があり、女性側からの「母」とは? という問いかけを受け、それを解釈し演じた作品でもあるという。さまざまな「母」への思いが込められている。

註 「オンニ」はお姉さん、親しい年上の女性に対して「満里姉さん」と呼びかけるようなニュアンスで用いられる

 重度の身体障碍者が舞台で演じる。体を動かすことすら困難なのに、エネルギッシュで躍動感もある。すごく自由だったりもする。自分も朝鮮舞踊を下手くそなりにやっているが、指先ひとつでも自分の自由にならない。思ったように踊れないことばかり。それは、自分の体について知らないからだ。当たり前だからこそ意識しなかったり、気が付かないのかもしれない。
 舞台を見るたびに、すごくショックを受ける。先入観というか、障碍者と向き合ってこなかった自分の固定観念みたいなものがひっくり返されるというか。そこにいるのは、まぎれもない役者でしかなかった。まあ、ずっと観てる人にとってはもう当たり前のことなんだけど。
 金滿里オンニの舞台を初めて見たのは東京で。これもソロ公演の「天にもぐり地にのぼる」だった。その時、舞台で見た金滿里オンニは可憐な一輪の花のようだったり、小蛇だったり、妖艶な龍の化身のようだった。舞台から離れていたのに、すぐそばに気配がして、蛇や龍に巻き付かれているような、よくわからない感覚になった。恐ろしい女優さんがそこにいて、すごくドキドキしたのを覚えている。

 「ウリ」は朝鮮語で私たちのと云う意味だが、よく韓国映画やドラマを見ていると「ウリ」という言葉が出てくる。ときどき、その「ウリ」には自分は入ってないんじゃないかと思うこともあるが、それはさておき。「ウリアドゥル(私たちの息子)」とか、ああ複数形なんだなって不思議な気持ちになる。今回の「ウリ」っていったいどういう意味なんだろう。そう思いながら、舞台を見た。

 まず冒頭は「暗闇の胎児」。命が生まれてくるシーン、すごく音が不思議。生まれてくる赤ちゃんには、こんな音が聞こえているのかな?それとも胎内の音なのかな。水が零れ落ちる、滴る音も重なる。自分も子どもを産んだ経験があるので知っているけど、母親が産み落とすのではなく、生まれてくる子ども自身も協力して、子宮から出ようとしている。頭の形を変え、体をよじり、回転しながら。
 そのあとで、この音は溶鉱炉の音だと知った。社会見学で製鉄所に行ったことがあるが、目の前で燃え盛る鉄の塊がどろりと流れるのを見た。真っ赤な鉄が生きているみたいで、それが通り過ぎるのをじっと見ていた。なぜか、生臭い匂いを感じていた。静かに流れ出るもの、その命のぬるっとした感覚が伝わってきた。血と鉄の匂いって似てる。
 生きること、生まれることは命がつながって行くこと。当たり前なんだけど、誰もが母親から生まれ、その命を繋いでいく。ときどきは切れたり、また繋がったり。今自分が個々に存在することは、そういう命のバトンを受け継いだんだなと思う。

 次は「目覚めの庭」。舞台にスポットが当たった瞬間、生まれ落ちた命に表情が生まれた。あどけない笑顔が、弾むポルカとぴったり重なる。自分の手や足がおもちゃで、それが自分の一部だと赤ちゃんはわかっていない。動かしながら、それを自分の思うように学んでいくんだな。自分もそうやってたはずなのに、赤ちゃんの時の記憶はもちろんない。
 そして、赤ちゃんが自由に動き出す。寝返りを打って、はいはいを覚えて。赤ちゃんは、そばにあったガラガラを持って無邪気に遊ぶ。口に入れてその感触を味わう、音を楽しむ、飽きたらぽいっと捨てる。まさかガラガラを口に入れるとはと思って、驚いた。でも、赤ちゃんなら当たり前のことなんだな。赤ちゃんが次に何をしでかすのか、はらはらしたり。むずがってるのかな、眠たいのかなと心配したり。舞台の上の赤ちゃんは、そんな心配をよそに、どんどん成長していくようにも見えた。
 いつの間にか、その姿を見つめるときの自分の視線は、母親のそれになっていた。自分にも息子がいて、寝返りがやっと打てるようになった時、はいはいをした時、それをいとおしく見つめる自分の姿を思い出した。きっと、今のような視線で見ていたんだろうな。そして、自分の親たちも自分をきっとこういう目で見つめていたはず。

 音楽が終わったと同時に、赤ちゃんから成長した子どもは眠った。その時、一瞬風に吹かれたような気分になった。夏の日の夕方、遊び疲れて帰った小さな私はオモニの膝で眠っていた。汗まみれで帰った私を団扇で優しくあおぐオモニ、団扇から生まれる風。優しく包まれるような安心感、そういう記憶がよみがえった。
 そして、次の場面は「母と子の絆」。静かな波の音のなか、体をもどかしそうに動かすシーンが続いた。勝手な解釈なんだけど、生きていくなかでの苦しみとか、青春時代の悩みを抱えた心の風景みたいだなと思った。今は生きていくのに、日々の生活で必死なんだけど、ふと立ち止まった時に思う孤独感。ある人に「お前はずっと、60歳になっても寂しいって云ってるんだろうな」と云われたことがある。兄を亡くしたときに、「誰でもひとりで生まれて、死ぬ時もひとりなんだ。どこで死んでも、ひとりだ」とパートナーから云われたこともある。
 生きることって、孤独と折り合いをつけることなんだなと時々思う。寂しさにも慣れなきゃいけないけど、なかなかそれは難しい。手を空に伸ばすところでは、何かを探しているように見えた。何を探しているんだろう。最後に舞台から背を向け、覚悟を決めたように動き出すところ。運命か何かを受け入れて、進みだそうとしているのかな。
 金滿里オンニのオモニは、海峡を越えて日本へとやってきた。私の祖父母たちもそうだ。生きていくために海を渡り、違う国の中で根を張ることを選んだ。どれほどの孤独を抱えてきたんだろう。短いシーンなんだけど、すごく心が惹かれた。寂しくて、切ない、儚いものが好きだ。
 次の場面では、伽耶琴と風の音が重なるなか、和紙の中から登場する。この和紙は、身を包むためのものなのか、それとも世間や社会、もしくは切り離したくても離れない家族や民族、もしくは運命みたいなものなんだろうか。何かから抜け出し、それを振り払って舞台は進む。何かを脱ぎ捨てることで自由にもなれるし、まとうことで守られることもある。民族もそんな感じなんだけど、激しくなる伽耶琴の音色と風の中で、それに翻弄されながらも抗うような何かを感じた。女性の強さなのか、人間としての強さなのか。

 舞台の金滿里オンニは何度も姿を変える。「滿里の僧舞(スンム)」、真っ白な民族衣装をまといながら踊る、葬送の舞。金滿里オンニのオモニ、金紅珠氏はその名手だったという。オンニの舞は、誰の霊を慰めているのか、オモニなのか。人生を重ねると、多くの死にも遭遇する。生きることは誰かと出会い、別れを繰り返すこと。その痛みを乗り越えるために時間があったり、祈りがあるのかなと思う。
 去年の9月に、東京・荒川の河川敷にいた。そこでは91年前に多くの朝鮮人が殺され、薪のように積み重ねられたとされる場所だ。そこでは何十年も前から追悼式が行われている。献花式のあと、慰霊のための歌などが歌われるが、最後には民族楽器を鳴らしながら、参加者全員が踊った。朝鮮人にとっては、踊ることは祈ることでもあるんだな、とその時に思った。
 舞の最後に朝鮮半島の太鼓、プクを叩いたのだけれど。この太鼓は自然の中では雲に例えられることがあるので、霊も風に乗った雲のように現れて消えていったのかなと思う。けれど、心臓の鼓動にも似ていて。生と死の境目にいるような気がした。そして、舞台って、神様とか霊的な場所に近い場所でもあると思う。金滿里オンニは巫女のようにも、その舞はやっぱり祈りのようにも見えた。

 ラストの場面は「愛の会話」。花の精のような可憐な女性が舞台にいた。少女のようにあどけなく微笑む女性は、優雅に首を傾げたり、恋人と語らうようにはにかんだり。
 衣装は、淡いクリーム色とミドリ色のドレスだったはずなのだが、光の加減のせいか真っ白に見えた。そのせいで、花嫁のウエディングドレスなのかなと思った。まあ、結婚は人生の墓場だとか、相手の色に染まるとか、嫌な意味もあるけど。結婚も新しい旅の始まりだし。
 僧舞とこのラストのシーンの間に流れた歌は、金滿里オンニのオモニが唯一録音を残した歌、「椿花打鈴(トンベッコ・タリョン)」だったと、後で知る。椿の花に託して、嫁ぐ娘に対する母の心情を歌ったものだが、その歌を聞いたせいでウエディングドレスに見えたのかな。朝鮮語もそんなにできないし、この歌のこともそれまで恥ずかしながら知らなかったのに。思いが伝わるって、不思議だな。

 それから、女性らしい可愛さってなんだろうって思う。女性が女性を演じるって難しいと思う。自分が持っていて当たり前のものだから、気が付かないことって多い。こびるんじゃなくって、自立した強さの中にある可愛さってなんだろう、とか思ってたら次の瞬間の仕草が妖艶だったりして、そこでドキドキする。女の人って、そういう怖さがあるよな。  また、自分も女性なんだけど、少女だったり女だったり妻だったり母だったり。女性って年を重ねるごとに、男性から求められる役割を演じさせられているんじゃないかな、とも思う。全部自分であるべきなのに、なんだろう。女性であることを自分は突き放せないし、客観的には見られない。なのに、金滿里オンニは演じることで演じさせられてるってこ とを表現しているというか。

 まあ、そんな小難しいことを考えながらも舞台を見ていたら、金滿里オンニと視線があった。視線があったと思うのは、気のせいで勘違いかもしれない。みんな舞台を見つめていた人は、そう思うものだ。その瞬間、金滿里オンニは微笑んだ。男女を問わず、その笑顔をみた人はみんな金滿里オンニの演じる女性と、恋に落ちたと思う。
 最後は、アリランが流れた。客席からは手拍子、舞台の上の女性はオッケチュム(肩をゆする朝鮮半島の舞)を踊りだした。朝鮮人は、悲しい時もうれしい時も、祈るときも祝う時も踊る。踊ることは命を確かめることでもあるんだよな、と思う。もちろ ん、歌うことも。

 私のオモニは、今85歳で、認知症だ。どんな姿でも、私のことがわからなくなっても。ずっとずっと、長生きしてほしいと思う。けれど、もしオモニとこの先、この世で別れるときが来て。そのあとで、また「ウリオモニ」をみたら、どんな気持ちになるんだろうかと、残酷な未来も想像した。
 アボジが亡くなる前に、「ありがとう、今から帰るから」と云った。それが最後の言葉だった。アボジはいったいどこに帰って行ったのかな、と時々その言葉を思い出す。生まれた朝鮮半島なのか、幼いころに育った岡山県の牛窓の街なのか、いったいどこなんだろう。もしかしたら、アボジのオモニの膝の上なのかな。次に生まれてくるために、オモニのお腹の中に帰ったのかな。
 舞台後の打ち上げでは、亡くなった人がいて、ここに来ているという気配がしたと、金滿里オンニやスタッフ、舞台を見て来た人たちが話した。失ったものを探す、そして出会う。そして、違うことと似ていること、共通の記憶、生きる場所、帰る場所を探す旅みたいな舞台だった。
 金滿里オンニは、舞台の上で地を這う。「地は一番死に近いところかもしれないね」と、さらりと言う。その言葉を聞いたときに、ぞくっとした。微笑みながらそういうことを呟く人を、私は他に知らない。そして、死に一番近いところは、命の生まれる場所かもしれない。
 「ウリオモニ」は「私たちの子ども」に、何を伝えたかったのか。今、安保法案を反対するデモや活動に参加しているけど、戦争は人の命を奪うもの。すごく怖い時代に生きていて、もしかしたら戦争はもう始まってるんじゃないかと思う。戦争を止めるものは、命の大切さ、その輝きを知ること。この時代に、今だからこそ見られてよかった。

『異文化の交差点・イマージュ』63号 2015年・秋 に掲載
り・しね  在日コリアン2・5世のフリーライター。著書に『#鶴橋安寧 ーアンチ・ヘイト・クロニクル』


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BHAVANI KRISHNA IYER

先日、KLPacにて行われた金満里のパフォーマンス『ウリオモニ』には、一本のピンが落ちるのも聞こえるほどの静寂があった。

態変の創始者である53歳の満里氏は三歳の時にポリオにかかり、その時から腰から下に重度の障害を持っている。
全シーンで満里氏は舞台の上を転がるが、彼女の障害は、作品の美しさを歪めることはない。彼女の機敏で繊細な身振りが雄弁に伝える。身振りは眼や唇や指、爪先によって形づくられていた。

『ウリオモニ』は満里氏の亡くなった母親で舞踏家だった金紅珠氏への思慕を表現している。

物語は彼女が胎児として演じるところから展開する、それは暗闇の中落ち着かず、物憂げで、未知に対しての恐れを見せる。
次のシーンでは感動的な象徴的な表現で、母と子の結びつきを表す。その母親は子を保護する存在として見える。そして満里氏は、それが永遠に続かないということを伝えながら、子供時代の無邪気さを祝う。
激しい苦痛と絶望が、韓国古典舞踊のスンムと呼ばれる葬儀の踊りにくっきりと投影される。満里氏の感情はこの上なく高まっていたが、音と光の効果は抑えられたものだ。黒い衣装とマスクに身を包んだ一人の助手が太鼓を持ち出して来た。
最後のシーンはドレスアップして豊かな振り付けで踊る満里氏をまるで天使のように見せた。そして彼女は黒い衣装とマスクの2人の助手達によって舞台から運ばれていった。

アクターズスタジオと国際交流基金の合同制作であった『ウリオモニ』はこのような幸せな雰囲気で終わりを迎えた。

満里氏は、身体障害者による世界で最初の劇団の芸術監督である。態変の発端は、身体障害者によって自発的にあるいは別の方法で表現される特異な動きは独特のものであり、美に転じられ得るという発想に基づいている。

態変はこの作品をスコットランド、日本、ドイツ、台湾で上演している。

1月29日付 New STRAITS TIMES ONLINE



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感動的な動き チョイ・スーリン

 金が演じた作品は暗く、人生の残酷なねじれを十分すぎるくらいに理解しているかのようだった。冒頭で会場は闇に包まれており、観客が閉所恐怖心を感じるほどそれは続いた。その時薄暗いスポットの中に現れた頭とよじれる二本の腕、それは恐ろしい印象だった。

 黒いカーテンの下から体の他の部分も出てきた時、観ている事がより痛々しく感じた。その痛みはダンサーの身体の障害が本物であるという実感からきており、彼女の不安の表現はその障害を自然に反映したものであった。

 だんだん、身体全部が現れる。ファッション業界が勝手に決め付けた理想的身体、自分はそれよりも劣っていると思う人は皆、自分の身体を気にするだろう。しかしここで、金の障害は観客の前に完全に、しかも全く恥らいなく、さらけ出されている。

 動くために彼女は反動や体重を利用する。そうすることで舞台を転がったり這ったりし、座りながら方向を変えたりする。足をあちこち動かすためには手を使う。

 ”感覚のない”(障害の)体の部分が”感覚のある”(障害のない)部分についていく。”感覚のない”部分の必然的な動きが人の生命の最も奥の部分につながっている、ということを金は見せる。健常の部分もまたそのように動く。

 公演の間、私たちは彼女が赤ちゃんから韓国の太鼓打ちになり、ドレスを纏った花嫁に変身するのを見た。おそらくそれは彼女の母親の人生のフラッシュバックではないかと思われる。前提が何であれ、その変身は何度も衝撃を与えた。(後略)


2006年クアラルンプール公演より/The Star紙 2006.1.29付



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