劇評 ラ・パルティーダ -出発

道面 雅量氏(広島・中国新聞記者)

 劇団態変の公演「ラ・パルティーダ―出発’06」(9月21―23日、扇町公園NGR雷魚テント)を観劇した。音楽監督を務めた広島市の佐伯雅啓さんに誘われて。 「障害じたいを表現力に転じ、未踏の美を創り出す」(劇団ホームページより)。初めて見た態変の舞台は、その志を十二分に感じさせた。

 芝居は一九七三年九月、チリのアジェンデ政権が軍事クーデターに倒された史実をモチーフにしている。「ラ・パルティーダ」は、その渦中で殺された歌手ビクトル・ハラの代表曲の一つ。軍にスタジアムへ連行されたハラは、そこでも抵抗の歌を歌い続け、ギターを取り上げられ、両腕を砕かれ、無数の銃弾を撃ち込まれて死んだという。

 計五幕の舞台を通じ、基本的にせりふはなく、抽象性の高い身体表現が繰り返される。レオタードに身を包んだ俳優たちが、なえたり、ひきつったり、欠損したりした手足で、癖のある動きもありのままにさらす。

 目をくぎ付けにする、圧倒的な「個」の存在感。差別語を言葉狩り的に避ける発想や、ノーマライゼーションの文脈をはるかに突き破って、それが胸に響いてくる。ビラが舞い、銃撃の音が響く。個を圧殺する軍の論理を前に、その存在感はいっそう強度を増す。

 終盤、へし折られたギターが天井から降りてくる。俳優たちは、ハラの志を受け継ぐように、その弦を手に手に取り合う。多数のエキストラも舞台に上がり、とんでもなく豊かな「個」たちの宴が広がる。

 美意識が激しく揺さぶられる。近ごろよく耳にする「美しい国」という言葉が、ひどく薄っぺらく思える。そして「パルティーダ(出発)」が、美意識や価値観の転換にとどまらない、行動への呼び掛けであるのは疑いようがないのだった。

(2006年大阪公演)



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