劇団態変
ラ・パルティーダ ―出発

広島公演に寄せて

荒野からの出発

 障害者は地域での普通の暮らしの経験を「奪われ」ひいては文化を「奪われ」てきたといわれます。むしろ、きっぱりと、せいせいと、何も無い、未踏の荒野に立って、ゼロからの文化の創り手として、ここに居るんだと、そう思ったほうがすがすがしい。決然と、決意を込めて、砂塵の舞う荒野から、この肉体ひとつで、出発しよう。

 態変を広島に呼んでくれた主催者から、新作を広島で初演してほしいという要望をいただいた時に、このモチーフが浮かびました。そして金満里が台本に着手したその日に、校長の自殺のニュースが。広島の教育界で何が起きているのか詳しいことはわかりません。ただ私たちが知っているのは、人間性を尊重され活き活きと「出発」への活力を持った多くの障害者をこの広島の地が育んできたこと。現実に、この公演にも30名もの障害者がエキストラとして出演し、障害者が創り出す表現への共同作業者として驚くほど広範な分野から数多くの裏方スタッフの参加を得ました。
 「異常事態」是正の名のもとに、広島で、決して失われてはならないものが壊されはしないか、真っ先に私たちはそのことを思ったのです。

 1973年9月、地道に堅実に成果をあげつつあったチリのアジェンデ政権が軍事クーデターで倒された。その時に5000人もの人をスタジアムに閉じ込めて虐殺したと言われるが、そのスタジアムでビクトル・ハラはギターをとり、歌で抵抗をした。軍人たちは怒ってギターを取り上げた。ビクトルは今度は手拍子で歌い続けた。軍人は彼の腕を銃の台尻で打ち砕いたが、彼はそれでも立ち上がって歌おうとした。数十発の弾丸が彼に撃ち込まれた。他国でも知られた筋金入のアーティストがこのような殺され方をしたことで、クーデターの正体が、背後にアメリカのCIAの陰謀があったことが、ただちに世界に知れることになった。
 今回の題名「ラ・パルティーダ」は、ビクトルの作曲した美しい器楽曲の題名からもらったのです。

 態変結成はその10年後(1983)、更に10年後に態変はケニアで「生存のための演劇」Theatre for survival という思想と出会います。生き死にのぎりぎりのところでこそ意味を発し輝きを発するアート、生きることに意味づけをするアート、とはどんなものだろうか。そんなことを追求してきました。

 本作品の第3部は、いよいよ、出発前夜。
 出発してしまったら、その先に待つのはもしかしたら…。
 それぞれの背負ってきた人生のすべてを、一人一人の感情の奥底を、決然とした決意へと収斂させていく。(ここ数年態変は、身障者の肉体ひとつでの感情表現という課題に挑戦を続けてきました。その集大成をここでお観せできればと…。)
 そして、我々は、出発します、来るべき未来のために。

 

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