男は旅に出た2 ファン・ウンド潜伏記

文書資料集

2009年大阪公演

チラシ裏面掲載の詩

故郷
固城(コソン)、海と山に面した美しい、
古い昔日本の倭国と深い繋がりがあったとされる朝鮮時代以前の国、
伽耶の都だったのではといわれ、誇り高く自治精神溢れる人々の郷

生まれ育ったのはそんな、山海の風光明媚な、美しい郷の田園風景に囲まれ
海と山が入り組み、浅瀬の入り江と山から見下ろす湾といった、起伏に富み、
全く違った形の風景を織り成している
そのどこを切り取っても、心にとって飽きのこない、申し分ない故郷の姿の
愛すべき郷土であった

人を思うのは運命か、
人々の未来を懸け、信じ、闘い抜く先導する力に、古い都は眩しく羨望する

ファン・ウンド

運命付けられたように、そんな故郷を祖国朝鮮を、救う為に愛と夢を抱え持ち、
故郷をおわれ日本に辿り着き、
徴用にあい厳しい労働に苦しむ同胞に、愛と夢を届け続けた革命を

そして、土深く埋もれる後も、起き上がって来る、愛と夢と革命があることを

金満里



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観客配布パンフレット掲載文

運命ということを考えている。
ファン・ウンドが夭折していなければ、この世に生を受けることがなかった私、
ファン・ウンドという人物に再びこの世の光を当てるため、その私が彼の生涯を作品化する。
表と裏は、どちらが外側でどちらが内側なのか。そのどちらからでも両方が言えると思う。寧ろそれを、世に問おうとことを起こさない限り、見えなくことの本質は彼方へと押しやられてしまう。
このことを作品にするのは、逆説的なレトリックとして、運命の存在を認めるのか否定するのか、といった人類の命題に取り組むことと同じだと思う。

この世に生まれ、生まれ出た意味を見つけられずに彷徨っている感覚は、現代に生きる誰しもが多少なりとも持つ不安であり、そして宇宙の中に自らの生の意味を見出すことへのもがきが続く。
劇団態変をやる意味も、そこに在らねばならない。

『ファン・ウンド潜伏記』を世に送り出すまでの格闘の中で私は、次のような思索を続けていた・・・運命はあるのか。もしそなものがあるとしたら、それは誰が仕掛けるのか。それは、人間の力によって変えられるものであってほしいのだが、実際のところ「自ら運んでいく命」のために、人はどれだけ意志的な人間としてその生涯を送れるのか・・・
これは果てしないテーマであり、その余りの大きさに挫折しそうになりつつも、しかし向き合わざるを得ないものとして用意された、と感じる。恐る恐る、しかしそうであるからこそ、優雅な心持ちで悠々と、歩を進める思いである。

2009.9.19 金満里


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2011年大阪公演

観客配布パンフレット掲載文

・・・準備中・・・

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