金滿里です。態変がこの国際芸術祭「あいち2025」呼ばれたこと、本当に光栄に思っております。
私自身ですね、3歳の時にポリオという障碍になりまして、以降、首から下、全身麻痺という状態なんですね。そして7歳から17歳まで身体障碍児ばかりの収容施設で育ちました。その特異な体験、ちょっと普通ではないっていうようなことが私にとっては普通だったんです。私の母がまたこれが日本の地において、在日コリアン一世、朝鮮、母の来日当時は朝鮮は日本の植民地にされ日本は戦争中なんですけど、朝鮮の古典芸能だけをやる一座を組んで、日本中を巡業していたという隠された歴史を持っているんですね。
そういう母をもちそういう環境で私は育ちまして、そうですね、身体障碍者のもっている身体そのものがすっごく面白い。自分のことは分からないんですけどね。えーと、施設でたくさんの友達を見てて、本当に重度で職員たちが「この子、何も役に立たないじゃない」みたいな扱いをやってても、その子自身は、すごく生き生きとした独特な世界を持っているというのは分かるんですよね。で、そういう、まあなんて言うか、障碍者たちの生き生きとした、その人固有のもの、同じ障碍の種類でも絶対に同じではない、そういう中で、一番重度の、地面に這いつくばってそこから表現するっていうことがあってもいいじゃないかと思い立って、態変を旗揚げしたんです。
私が考える表現とは、車椅子とか補装具とか杖とか、一切使いません。身体をそのままダイレクトに床面とか、できたら地面なんですが、ぶつけられるように、ユニタードというもので、ピッタリと体にひっつくものを身にまといですね、なるべく自由に、動かなくてもいい、動いてもいい、存在そのものっていうものを凝視させる表現をやってきました。
これは、命そのものがなンやっていうことをね、誰も何も言えない命の形ですけど、それが本当に観ている方々に、なんて言うんですかね、理屈抜きで伝わる、そういう命の存在っていうものに、私は毎回、パフォーマーたちの稽古をつけながら、私自身が感激してるわけなんですよね。
そういう中で、今、ご紹介にあずかったように、なんて言うんですかね、健常者文化っていうものは、本当に上に上昇する、上に上に上がることばかりを追い求めてきたと思うんですよね。そこの一番トップにあるのが頭、頭脳。頭脳で考えながら頭脳で支配やること、それがかっこいいし、賢いとか、あほとか、そういう表現でよく言われるんですけども。より、やっぱ、賢く「ふるわまなければいけない」、こういうふうにとちったら、ものすごく恥ずかしいことになるんやけど、別にそういうこともいいやんかっていうふうに思いながら。
やっぱ頭の存在っていうのをいかに黙らすか。身体にいかに存在として独自のものをちゃんと語ってもらうか。そこに耳を傾けられるような価値観、そういうものが非常に大事やと思ってるんです。
今回、「あいち」で行ないたいと思ってますのは、そういうふうに思ってきた、作り上げてきた態変の41年間、今年41年なんですけども、来年42年ですよね、その身体、肉体、頭に黙らせながら作ってきた身体に、やはり頭を取り戻さないといけないんじゃないかという一つの新しい、転換期なんですね、態変にとっては。
それは、従来の、今、流行っているようなもっと発展するとか、経済発達だとかいうことではなく、本当に一つのトータルなものとして、生み出したものをどう認めていくか、ということを私たちの身体を使って、すったもんだしながらも、追求していきたいと思ってるんです。
一番言いたいのはですね、健常者文化の中で、築き上げてきた今の人類っていうのはもう頭打ちっていうふうに、はっきりと思います。
ここで、大きな転換、価値観、人間の存在っていうものそのものの価値観を転換させる必要がある。そこに取り組むのが態変の芸術による革命というふうに思ってるんです。要するに、根本的に、何か、やっぱ、あの、文化であるとか、五体満足、優生思想であるとか、そういうものを全部ひっくり返せるような革命を身体を使ってやっていきたいというふうに思ってます。
来年、すごく楽しみにしてるんですよね。そういうところで、矛盾していないかという自問自答をやりながら作っていきたいと思いますので。新作です。どうぞよろしくお願いいたします。
中央でポスターを掲げているのが芸術祭全体の芸術監督を務めるフール・アル・カシミ氏