劇団態変は、劇団と名乗ってはいるものの台詞芝居ではなく、身体障碍者による抽象的身体表現を行なっています。パフォーマーは障碍があることで却って、一人ずつが固有の唯一無二の身体の持ち主となり得ます。その身体を表現へと引き上げ、観客に自由なイマジネーションを誘発する舞台を創る、それが態変です。
態変は本作品で、試験管の中で起こっていることを、身体で表現してみたいと思います。今にも強い反応を起こしそうなものが、この小宇宙の中に混ざり合って存在している。そこに火花でも散ったら最後、何が起こるか。大爆発か。猛毒の煙か。生命を持つ物が出て来てしまうかもしれない。このような一触即発の状況を抽象的身体表現で行ないます。
世界は今、人種・宗教・経済格差・自然破壊といった、様々な問題とそれを取り巻く権力の思惑に満ち溢れています。それは全部人間によって引き起こされる現実で、これではまるで地球自体が試験管のようではないか、という思いです。差別だったり困窮だったり憎悪だったり偏見だったり、違った質の価値観を押し潰す劇薬が、まぜこぜに渦巻いている。その中に、何かちょっとした異物を投げ込むと、誰にも止めることのできない激しい化学反応が連鎖的に起こってしまって、この先、何がどうなっていくのか・・・。予め結果が解っている者など誰もいない。だから地球自体が試験管の実験になってしまうのではないでしょうか。
そう気付いた時、見たい未来の方向を模索するための、1マイクロの何万分の1の一滴、の触媒となる物質を見つけ出せばいいのではないか、とひらめきました。それは、殺し合うために使う科学ではなく、生かし合うための科学。試験管の中で起こる化学反応の結果を戦々恐々としただ待つのではなく、態変の身体でその模索を、やってみるのです。
そんな態変がやる『試験管』は、有象無象に宇宙に溢れだす生命のるつぼです。劇薬は得てして、多様な質を活かし合って、考えもしなかった変異をもたらすものでもあります。劇薬である態変の身体が、1マイクロの何万分の1の一滴を探す旅を表現します。それはもう、目に見える富や名誉には何の価値も無くなる、一生懸命変化する、命、への絶対肯定です。