翔ぶな、態変!

高橋源一郎

                

 人として生まれてきたなら、一度は、「態変」の舞台を見た方がいい。というのも、そこで、あなたは、いままで見たことのないものを見るからだ。

 もちろん、この世界には、あなたが「いままで見たことのないもの」はたくさんあるだろう。わたしだって、そうだ。「いままで見たことのないもの」、「いままで聴いたことのないもの」、「いままで読んだことのないもの」、「いままで会ったことのない人」、「いままで……」以下同様、あなたは、間違いなく、実はほとんど毎日のように、初めて体験することに出会っているのである。ところが、不思議なことがある。そんな風に、毎日、初めて体験することに出会っている、というのに、あなたは(わたしもだが)、たいていの場合、ほとんど驚かないのである。驚いたとしても、「わあ、びっくりした!」とか「おお、すごい」といって感心する程度なのである。そして、数時間後には、あるいは数日か数週間後には、ほとんど忘れてしまうことになるのである。

 なぜだろうか。理由は簡単だ。それは、その「初めての体験」や「いままで見たことのないもの」が、ほとんどすべて「想定内」であるからだ。別の言い方をするなら、わたしたちの側に、すっかり完成しきった常識があるからだ。それはもう何年にも何十年にもわたって、世間や社会からたたき込まれたもので、もともとは教わったものであることも忘れて、まるで物理の法則のように不変のものとして身についてしまっているのである。しかし、ほんの僅かであるけれど、ほんとうに「いままで見たことのないもの」が存在している。ほんとうに「初めての体験」としかいいようのないものがある。もう一つ、ほんとうのことをいうと、そういうものには、触れない方がいいのかもしれない。というのも、その「いままで見たことのないもの」を見たり、「初めての体験」をしてしまうと、あなたは、もう元には戻れないかもしれないのだ。それでもかまわないというなら、あるいは、「いや、どんな体験をしても、驚かない」という自信を持っていうことができるなら、どうぞ「態変」の舞台を見てください。

 では、「態変」の舞台は、なぜ、あるいは、どのように「いままで見たことのないもの」であり、「初めての体験」となるのか。それは、あなたの常識をことごとくくつがえすからである。そうはいっても、たぶん、あなたは「常識をくつがえされるようなことぐらい、わたしにだってある」というだろう。そして、そのとき、わたしはこう返事をするだろう。「常識をくつがえす」ということに関する、あなたの常識は、「態変」の舞台を見て、くつがえされてしまうはずである、と。

 ここまで、わたしは、「態変」の舞台のなにが、あるいは、どこが、「いままで見たことのないもの」や「初めての体験」なのか、書いてはいない。もったいぶっているわけではない。それは、ことばでいくら説明しても、実際に見なければ理解できないからでもあるし、そういったことが、一つや二つではなく、ほとんど無数といってぐらい存在しているからでもある。けれど、わたしも、ことばとして表現することを仕事している者だ。一つだけ、「態変」の舞台の特徴について書いておくことにしよう。

 様々な身体障害者たちが登場する「態変」の舞台を見ていると、登場人物たちが異様な動きをしていることがわかる。健常者たちは、そんな動きはしない。しかし、見続けているうちに、なんだかおかしな気分になってくるのである。役者たちの「異様な動き」の方がまともではないか、それに比べて、我々(観客たち)の動きは、なんだかおかしいのではないか、と思えてくるからだ。「態変」の役者たちの動きが異様なのは、重力の作用を敏感に感じているからだ。この地上に存在するものはすべて重力の作用によってその動きを制限されていることがわかるからだ。では、我々(健常者たち)は、なぜそのように動かぬのか。鈍感だからなんだよ! 生きものたちは、重力によって地面に縛りつけられているんだよ。なのに、誰も(健常者たち)は気づかないんだよ。そんな、あまりにも正しいことを、「態変」の舞台は観客に突きつけるので、世界にとってはほんとに不都合なんだよ!

 「態変」の舞台を見て、冷や汗をかき、家に戻って悪い夢を見てください。



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