プリーモ・レーヴィ氏のこの放送が、何故、私をそんなにまで引きつけたか。それはしつこいまでにある、私自身の彼と同じく隔離施設での収容体験であろう。私はずっとその子供心の施設体験へはこだわってきた。と言うよりも幼心に刻まれた、自分で選ぶことの出来なかった隔離収容は何だったのか、にこだわる事抜きには今の自分も見えないし語れない、と思っているからである。
そういう意味で第1回目の放送のときに、もう一つ私が自分の施設経験と合わせて、大切な提起が成されていたのを特記しておかないといけないと思う。
それは自分が生き残れた要因として考えられるのは、という自問の中に出している答えであった。
ホロコーストの非人間的な生活の中では、自分が人間であるのかどうかさえ解らなくなる。ホロコーストでガス室送りを免れた働ける者へは、人間性を奪い生きる気力を無くさせ早く殺す、ことだけが目的であった。心身ともに動物のように使役され殺される恐怖の中で、人間性などという問い掛けすら出来なくなる状態で、自分と動物を分けるものは何処にあるのか、という事を自分に解らせるために、毎日の顔を洗う事と歯を磨く、といった日常生活としての自分への決まり事を課すことは非常に自分を人間として維持させることに役立った、という。
これは私にとって心当たりもあり、それでいて気付かなかった、小さなことが大きな事に繋がるという、具体的な「目から鱗」の示唆であった。
私の子供の医療と教育という目的の障害児施設では、強制という形で一日が規則で固められ運ばれるように、無自覚な日常であった。それは障害を直すという名目であり、ホロコーストの殺すとは違う目的であったかも知れない。朝の洗面-というのは必ずの日課としての強制である、が但し自分で出来る子供のみで、手の動かせない子は職員が手伝っても歯磨きをさせる、というのはなかった。
しかし、その毎日の課せられた単純な日課としての取り決め、は結構自分の己としての世界観であったと思う。それがあったから、私は施設を出ての親元へ帰った生活でも、兄嫁に身の回りの世話をして貰っていたのだが、時間は規則正しく動いていっていた。そこでは起床・就寝・毎朝洗面、そしてご飯、といったものの時間の流れは、兄嫁が管理する家族としての規則の流れがあった。これは私は施設時代から歯磨きや洗濯といった、(実は、潔癖症、と施設職員に言われるほどであったが)身を自分で奇麗にする、といった個人としての自立性を保つことができる、一種の世界観、が非常に好きであり大切にしようとしたのと似ている。
プリーモ氏が言うように、自分に一日の日課として単純な事を欠かせない事として課す事、この方法をもって自分は動物と人間との違いを自分に刻む必要があったし、それが非常に有効であった。と明かしていることで、私は自己保存させようというのは、己的な世界観を確保し広げようとする無意識レベルでの画策の賜物であり、それが如何に人間としての尊厳への欲求であったか、と言う事に気付く。
そしてこの動物と人間を分けるもの、としての日常の日課を発見したこと事態が、プリーモ氏がサバイバーとして他と分けた要因であった、ということは非常に私としてはうなずける。
私は全ての必要な世界は何気ない日常性にこそあり、答えはそこにこそある、と思っている。プリーモ氏のこの言葉で、私の日常への感覚を、非常に端的な事実として言い表されているのではないか、ということである。日常の日課を、己的行為或は押し付けられた規則だ、と軽んじてしまうのには余りに多くの世界観が潜んでいる。己的世界観の獲得は、人間としての尊厳を果たしたいと、強く希求する人間の叡知だったんだ、ということに思い至らせれる。「命」する事は、如何に人間たらんとすることでありそれは先ず己に課せる意思としての意志であり、彼の「これが人間か」の叫びの本質なのだと気が付いた。
そして私の障害児施設の場合の隔離収容という施策は、一辺に大量の人間をルールに従う事のできる訓練として大量生産できる言わば教育的観点と共に、その実一番には己としての世界観をぎりぎりの生活環境で持てなくさせ、人間性への諦めをさせて生きる気力を奪っていく、といった二つの側面があったと思う。逆にそのぎりぎりの環境の中でより己がはっきりとしてくるのである。
何れにしても、隔離収容はやはり一括して殺せる対象となりうるし、隔離する側とされる側の立場には絶対に分つ訳である。そして特別の感染症(今騒がれているSARS)の場合などとは違い、はっきりと殺す目的と隔離は見分けが付きにくいように進められるし常にそこには、爆弾一つ投げ込んだら同じ種類の人間を殺すことは出きる仕組みはあるという事には変わらない。外からの情報や中からの情報もない状態は、回りが常に意識を持ち「何の為に?」を問うようにしなければなくならないし、なくならないものはやはり社会からの隠蔽であり、抹殺が目的なのである。
つづき