国際障害者年〜態変旗揚げ
1981年、政府は国際障害者年というものを打ち出した。
いったい国際障害者年って何?と思えば、健常者側からのおし着せの、まるでお祭り騒ぎのよう。
CMで障害者が「頑張ってます」と言ったりしてるのを見ても、障害者に対してのイメージが清く正しく美しく、とあまりにも一方的すぎ。一般の人がコミュニケーションを取ってくれるきっかけにはいいかもしれないが、おおよそ障害者が味わう疎外感は変わらないではないか。
障害者には、障害者年なんか、関係ない。けったくそ悪いから、『国際障害者年をブッ飛ばせ!’81』というわけで、純粋に障害者が楽しめるイベントを、金満里と仲間たちで開くことになった。
その中の『ブッ飛ばせコンサート』では、京都大西部講堂にロックやブルースの歌手を招いて、舞台と観客を同じ平面にして、車椅子の集団を前に置いた。一般のコンサートの場合と設定を逆にしたのだ。
そして障害児殺しをテーマにした寸劇の上演も試みた。
障害者と健常者がともに楽しむ空間ができた『国際障者年をブッ飛ばせ!’81』は大成功。
このとき行った寸劇が、今日も金満里が主宰をつとめる劇団態変へと繋がっていく。
国際障害者年から2年がたとうとしていたとき、政府は国障年どこふく風とばかりに、それどころか福祉費削減などと障害者の生活を脅かしてきており、あのときのけったくそ悪さはおさまるどころか増々意気盛んになっていった。
とかく世に否定される障害者は、自らに目覚めようとしたときから、強烈な自己肯定と自己主張なしにはやってこれなかった。誰が止めようとしても、社会の「異物」として排除される存在は、世の中に産まれ続けるのだ。この「障害者で何が悪い」との言い分から出てくる、自らの<肉体>に伴う特有の格好、しゃべり方、生活様式そのものを肯定する作業。これは障害者にしかできない自由な発想でなされていいはずだ。
障害者が行う肉体表現として、芝居というのはいい方法ではないか。この初めての試みに人々を巻き込み、1983年『色は臭へど』京都・大阪公演で、態変は劇的なデビューを果たしたのである。
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