表現する徹底非暴力の反戦通信6●4/27 マイケル・ムーアの「ボーリング・フォー・コロンバイン」を新梅田シティーの空中庭園のあるビル街へ観に行く。/一言で言えば「さよならCP」(私はこの映画はあまり好きではないが、原一男の映画は「ゆきゆきて進軍」が好きである。)の原一男の作り方に似ていて、突撃型。そして、遊びもありのドキュメントとして、この2時間の映画の作品性には感心した。 私は、ムーア監督が自身の故郷で起こった事件を追う映像に、忘れてはならないと刻みつけるほど、衝撃であり一番の物語として受け取った。これは町が、無味乾燥な廃虚に近い、荒れ地を思わせる風景から始る。道も広いのにぬかるんでいる。良くアメリカの景色として出て来る、家の回りには芝生なんかもなく木の可愛い囲い、何かとはほど遠く、人の気配を感じさせないものである。以前に観た「遥かなるグルジスタン」の、一つの町丸ごと水に浸かった風景に不思議と共通している。 これは(また観ていない人は是非観て下さい。)6才の黒人の男の子が同じクラスの白人の女の子を撃ち殺した事件を追うところである。特に凄かったのは、男の子の母親が法廷に入るときの、窓越しに写すときのまだ若い母親の横顔、が私には忘れられない。 これがアメリカの現実として、白黒に見える静かなそして悲哀に満ちたその横顔に、この国の裏の部分の全てが底から込み上げるほどに言葉にはできない感情がある。その若い母親からひたひたと伝わる、何とも哀しいショックな一瞬のシーンであった。凄い映像である。 私として批判点は、Kマートへ抗議へ行く所である。ムーアが一人で有頂天に感謝していて、何で? と言う感想を持つ。厳しく言えば、被害者本人の反応がもう一つ出てこず、こちらには伝わらない。 いいや悪いやの反応はまずもって、本人の二人がやるべきもの。やはり、ムーアの健常者としての先走りで、当の障害者の当事者を消し去ってしまう、という大きな差別性を孕むのに気付かないのであろう。 車椅子の男の子などは、一番盛り上がっているときは下に低い位置なので、回りに押し掛ける、Kマートも映像関係もマスコミも、みんな健常者達ばかり、でそれらがムーアに殺到して詰め寄せ、それを外側から写すものだから、もうそこには彼はいないかのような、存在としての消され方を車椅子はしてしまうのである。健常者ペース・健常者視点、を皮肉にも返って露呈するのも、映像の面白さ、と言う気がするが、そのことに気付くのは、健常者間では、観ていても解らなくいないのではなかろうか。 しかしそんなことも瑣末なことと忘れさせるほど、やはりこの作品は秀作である。"ボーリング"と言う言葉に込められたのもが、観ての後にひたひたと言葉以上のものとして伝わってくる。この作品の一番凄いところは、私たちも決して免れられないと思わせ、心せねば、と思わせる。それも全部の説明無しで。ムーア監督自身の、突撃と行動力でもって解らないことから行動していき、しかもアメリカ映画らしい娯楽性もちゃんと活かし、解り安く説得力を持とうとあの手この手で手を抜かない、手法をこんな形でも活かせるのだ、と私に再認識させたこと。人間味としてのドキュメントの良さ、を彼の真摯な姿勢として説得と感情がにじみでた映画作りとして、車椅子のところ以外では、出過ぎではなく充分に良さが出ていた。 そして現代における社会構造、といったものが大きく立ちはだかる。それは、分けの解らない恐怖心を煽られ、駆られる、といったことを上手く利用しての商法でもある。この間の情報誌「イマージュ」での森岡さんとの対談でも出てきたのを思い出させる。自分を自分で管理しつくしているという自己管理、という言葉が仕切と言われる昨今だが、その実は、規制のレール上を管理者からより先取りで自分に課し、それから逸脱しないように自分を縛っていくので、大きな敵が何処も見えなくなる。といった人間の心理構造に、益々作り替える"自己家畜化"であり"自縄自縛"と言う無痛文明論とも共通する話しである。 映画では家のカギと銃の話しが出て来る。自衛策としての武力は、絶対的積極攻撃に移行する。その時の攻撃=正義となり、武力を持っていなくては正義は行使できない、となり力と正義が比例するようになる。これは決して他者を認めるものとはならず、常に排他的で自己を認めないものに対し、ハリネズミのように攻撃を掛ける用意をしている。その心理を安定させるために、武力は一番でなくはならいず、そのことでもって初めて自分勝手な飛躍でも、自己矛盾にも悩まない"正義"が銃となり戦争となるように用意されている。 それはやはり、自分より少しもの底辺層に対する恐怖心として、他人を信じられないアメリカ人の姿が浮かび上がってくるのである。それもムーアは、露骨な提起としてではなく。考えると、と言う形で観客へ提示してくる。結局は、白人の優生思想から逃れられず。雑多な民族を認めている国ではない、というのが解る。その分けの解らない恐怖心に、拍車が掛るように国民の銃の所持率は過去最高。 一方向のテレビでの情報や噂で、仕向けられた消費文化の中で、更に慢性的パニック状態へと駆られる。それが若年層に学校内での、銃での簡単に殺す、という人種問題と差別と貧困が産み出す強者の論理の仕組みである。 アメリカの戦争中毒の漫画解説も非常に面白かったし、この映画は、ムーア監督のアメリカの今のこの時代を冷静に記録し伝えようととする執念と使命感は、これまた新しい国のアメリカの良さとして歴史の相対化に努められる訳で、単に過去を引きづらず悪いと思えば自浄もする力もあるのではないか、只の汚染に任せるままなのか、といった不安定な所を作品にしたことは大きいと思うし、またちゃんとグラミー賞と無視できないヒット作として作り上げた、ということもこの獲得の凄さであろう。 普段より勝負は勝たないと、というのが持論の私は「やってくれたね。」といった感想である。 ●5/3・4 旧「らい病」、現「元ハンセン病」となったが、私は今も当の友達の間ではらい病と言い合っている。そのライの友人がいる国立療養所の長島愛生園へ、イマージュの取材の為に、この連休を使い私もいれメンバー5人で行ってきた。/この友人は暴れん坊将軍のような人で昔から馴らし、当年73才。相も変わらずの酒は呑むなら大酒、人への迫り方は <生き様をみせろ。呑めない人間とは付き合わん。話をしない奴はここへ来るな。>だから、私などはこれに昔は勝ったと言えども、昔の連れていったメンバーではどつかれ前歯を折られた奴もいたり、と中々マッチョ格闘技派でないと連れていけない、と言うのをすっすり忘れていた今日この頃であった。 それ程長らくのご無沙汰で、長島行きを再開しだしのはここ7年前ぐらいから。子供を連れていったりの再開の再会を、2〜3年間隔で行くようになった長島行き再開では今回が3度目である。愛生園に訪れた当初の私は、それまでの障害者解放運動に挫折し一番荒れていた時期である。私は愛生園で言いたい放題やりたい放題で、この場を恐怖に陥れ、この友人を打ち負かしたそうである。 私としては、今は日々そんなンでは、今の学生の介護者は付いてこず、生活は成り立たないし、劇団や人を演出するや研究生を指導するやとやっていることの立場として、やり方は大人としてのやり方に変えた。 そして、随分とこの友人は私が連れていったメンバーの手応えにはご不満なようで、喧嘩を仕掛けるは、でそれはそれで非常に面白かった。それ程、突きつけ合を求める、昔の左翼運動、特に障害者運動にありがちな<徹底的で妥協無しの関係性の構築>を久々に味わう濃さ、であった。 しかし、この友人はたまに行く私の一行への、心からのお持て成しとして取材への力こぶが入ってたのである。昔の財産として、本当に有り難いことである。 今回改めてきっちりと説明を聞いたのだが、ライという隔離収容での国家が介在する時代背景、そして恐ろしさである。ライは、栄養事情としてのその人の免疫の問題であり、非常に弱い菌で多くの原因は貧困と言う。その国の内乱や外からの戦争といった世情不安が引き起こす、貧困である。1930年昭和5年に長島への警察権力直接の強制収容は始ったとのことで、当時の日本が戦争が激しくなる状況下での権力からの施策である。日本ではガス室ではないが、忌み嫌い恐れる、と言う人間の心理が、やはり同じように殺すために強制的に隔離収容する、というライへの差別が人の心への沈め石としての戦争への一つのガス抜き、そして人の目前から見憎い汚い者は見えなくすることで、やっていることへの隠ぺいとしての意図であろう。 近代のこのライの隔離収容の問題は、国家、が関わっている象徴としてあるのであろう。そして戦争の持つ表には決して出てこない、権力が人心を利用するやり方なのであろう。この詳しくは、イマージュの次号7月発行の28号で。 ●東京での態変の公演を決める。11月3・4・5日である。それに先駆け勿論大阪でもやるのだが、こんな時代だからこそ、態変の本公演として東京でやらねば、と私に思わせた。人間というものへの哲学の無さ、そして益々の美意識・価値観の一極集中、への芸術の力を問い創りだす者としての責任として。○5/17 東京へ行き、いつものように東京の友人知人へ呼び掛け、応援団ようなもののを要請する集りをしてくる。 本当にいろんな所から発芽し、絡み合って自転していくことの喜びである。私にとって人は何よりもの宝として感謝できることに、また感謝である。 03/5/5
|
表現する徹底非暴力の反戦通信7<誰も知らない、誰にも見えない。アメリカの都合の良いように何でも使いたい放題、やりたい放題。だから自分も、は単なる便乗のご機嫌取りのお子様根性。だからと言って-こんな世の中に誰がした-なんてもう、誰にも言えないだろう。甘えではなく、自分はどうなんだ、どうす思うんだ、どうする? だけ。自分から、始るしかない。> ●5/7 英国のブレアも支持率が上がっている、とのこと。体勢に駆られることなく、隠されたものにこそ注目しないといけない、と言う価値観がより必要となる時代としての責任、が発信する者に益々重要となるのを感じる。/みなさん、どうか考え、知って、そして知らせて下さい。この以降の文章は大きな問題を伝える重要な記事だと思います。携帯では長文で対応無理だと思います。読みたい人は自分の主体ある連携で、転送、プリントアウト、等を作りだしてください。 ///////////////////////////////////////
■萬晩報 お江戸のデスク日記■ http://www.yorozubp.com/
プライベート・ロリィはどうなの? 2003年05月02日(金)コロンビア大学東アジア研究所 大西 広 英国ガーディアン紙4月10日付けに「プライベート・ロリィはどうなの?」と題する記事が書かれている。 http://guardian.co.uk/g2/story/0,3604,933363,00.html 救出された女性兵士としてジェシカ・リンチが一躍有名になった一方で、同じ部隊に属し、同室の親友でもあったロリィ・ピーステヴァの戦死があまりにもアメリカで無視されているという記事である。彼女は少なくともこの時点では唯一の戦死女性としても報道されるべきであるものが、同時にアメリカ・インディアンであることから差別されているのではないかという批判が込められている。 といっても、もちろんイギリスのガーディアン紙がそのことを知ったのだからアメリカのマスコミのどれかに言及があったには違いがない。実際、私も新移民向けの新聞でピーステヴァのことを読んだ。が、たとえば何ページにもわたってジェシカ・リンチの特集を組んだ『ニューズ・ウィーク』誌でさえ名前のみの言及でインディアン女性であることは書かれていない。アメリカ版ヤフーの検索によっても、ジェシカ・リンチのページは11万9000も出てくるが、この中でピーステヴァに言及したのはたったの300、つまり全体の0.3%以下に過ぎない。しかも、このほとんどは『ニューズ・ウィーク』誌のように名前のみの言及で、さらにイタリア、イギリス、ドイツなど多くの外国紙も含まれている。ジェシカ・リンチに比べ軽視されているとの批判は当っている。 とくに個人的にもこのことが気になり出したのは彼女が戦死したとされるちょうどその日、3月23日に私は彼女の出身地、アリゾナ州チューバ・シティに足を踏み入れていたからである。ここはナバホ族居留地の一部にあるもののホピ族インディアンが主に住む地域で、私は家族とともにチューバ・シティ内の「恐竜の足跡」という観光地に入った。観光地といってもただ道の傍に広々と「足跡」が無数に化石化しており、そこに現地のインディアン数名がガイドとみやげ物売りをしているという程度のものである。 が、生まれて初めて入ったその居留地の町は「シティ」とはいうもののトレーラー・ハウスが散在する「部落」としかいいようのないほどの小ささで、ちょうど日曜日とあって10歳の子供が案内をしてお金を稼いでいるという状況であった。その母親は手作りの宝石細工を売り、2人3脚で仕事をしている。貧しい途上国で見るものと寸分違わない光景がそこにはあった。父親と姉は外部に働きに出ているということであった。 もちろん、この日にはまだ戦死ないし行方不明の情報が流れていなかったものの、この子供たち、大人たちは全員ピーステヴァと一緒に生きて来た人達である。ガーディアン紙でも現地からの情報として村の全員が知人であると報じている。ピーステヴァは離婚後、ふたりの子供を育てるために自分の母親に子供を預け、軍隊に入隊したという。ピーステヴァの4歳と3歳のふたりの子供は私を案内した10歳の子供の遊び友達にきっと違いない。 ガーディアン紙も報じているところであるが、荒野に押し込められたインディアンたちの生活はアメリカの最低辺を形成する。居留地内の失業率は50%に達すると言われ、同居留地の首都で話した女性も「ここは住みやすいか」との質問に「Yes and No. つまり住みやすいが仕事がない」と答えていた。 1989年の数字であるが、このことは連邦センサス局によるインディアン統計によっても伺うことができる。何と彼女の属したホピ族インディアンの一人当り年平均所得は6628ドル=80万円に過ぎず、居留地外を含む全人口1万1522人の内2026人が貧困線のさらに半分の所得しか得ていない。また、全2502家族の内の887家族、両親のそろっている全1464家族の内の377家族、母親のみの797家族の内の401家族が貧困線以下の生活をしているとある。ピーステヴァの場合、この最後のケースに属していたことになる。 [平明註−前に配信した共同通信の記事によると、米軍兵士の年収は15500ドルであり、生活保護を受ける夫婦と子一人の貧困家庭の年収は15280ドル(日本円で184万円)でしたから、1989年の数字とはいえ……。また、イラクの食料配給を受けていた貧困層の失業率は50%だそうです] このため「合衆国軍」という本来「敵軍」である軍隊(インディアン居留地は現在もなお形式的には「国家(Nation)」となっている)への入隊が多くの家族にとって残された唯一の生活の道となっている。ピーステヴァの場合も父親、祖父ともに入隊をしていたし、ガーディアン紙によれば少なくとも45人が入隊し、海外に派遣されているという。先のインディアン統計によると1990年のホピ族の18−24歳の若者は男女合わせて1435人しかいない。通常入隊するのが男性だと仮定すれば、7−800人の内の45人以上が現在海外で兵役に就いていることになる。異常な高率であることは言うまでもない。ちなみに、この統計には16歳以上の男性の入隊経験率が示されているが(英会話能力等の問題とともに「同化」の指標として示されている事も見逃せない)、それによると何と22.4%が入隊経験を持っている。 その後、いくつかの新聞報道によれば、アリゾナ州の州都フェニックスにある「スクウォー・ピーク」と言われる山を「ピーステヴァ・ピーク」と改名しようとの運動が起きたようである。 http://www.tucsoncitizen.com/opinion/4_21_03op.html http://www.2020hindsight.org/2003/04/21.html 「スクウォー」は女性性器を意味する俗語で改名が必要との声は以前からあったようであるが、本来の「インディアン女性」との言葉にそって、彼女の名前をつけたいとインディアンたちが5月に開かれる州の地名決定会議に要望したのだそうだ。白人たちの冷笑を浴びていると記事にはあるが、彼らインディアンたちのやりきれなさを思う時、せめてそれぐらいの度量は見せてもらいたいものである。 大西さんへメールは mailto:ohnishi@f6.dion.ne.jp
|
表現する徹底非暴力の反戦通信8●6/9(月) 昨日に、ノ・ムヒョン韓国大統領は帰っていった。 大統領の話す内容的は、非常にソフトで一見可もなく不可もないんじゃないか、と思わせるもとして当初は「えっ?」。しかしこれも今の日韓の状況から来る判断なのだろうと思わせるものに変化。 言いたいことの信念はやはり、東アジアの安定した経済と繁栄へは絶対的な平和でありそれは北朝鮮を孤立化せず対話路線にある、ということが理解できる。 さぞノ・ムヒョンは日本へ来て、お昼のワイドショーのテレビなどを見て驚いたことだろうと思う。北朝鮮に対する日本でのマスコミ報道は全くの異常で、無意味に恐怖感をかき立て、今やそのネタも尽きたのであの手この手で、タレントゴシップの覗き見趣味と同じような扱われ方で、お茶の間へ面白おかしく取り上げて、テレビ視聴率を上げるネタとしてしか見ていない。 ノ・ムヒョンも日本で話していたが、北朝鮮の貧しさは相当なもので一部の官僚や金正日の贅を尽くすことぐらいにか使うものは残っておらず、例えば隣の韓国ぐらいなら少しは侵略はしてきてもどうせ勝ち目はない。そんな情勢を持つ北朝鮮が少しぐらいテポドンをどっちに向けたや、飛ばして日本海へ落ちたや、といったとて威嚇行為だけであり、実際に海を渡って日本という国に沢山の軍を出すほどの経済力が残っている訳もない。上層部の腐敗と国民全体が飢えている状態では政治信念も国民の中には持ち得ない状況では、韓国に侵入したとて勝ち目は到底ない。 そんな状況下で北朝鮮は無理やりの挑発さえ受けなければみすみす自爆の道を選ぶ為の、本当に戦争を仕掛けてくる事などは有り得ないのである。 よって、武者小路氏の講演でもあったが、米国は利権の目的は中国にあり、その為に朝鮮半島の戦争は日本も巻き込まれ東アジアの全体の混乱と経済はがた落ちし、その隙に中国に手を出す。という東アジアの危機に、米国の策略にまんまと名誉白人格の日本が乗せられる事をせずに、日本は東アジアという共同体の方をきっちり向いて隣の国としての韓国との協調を第一として下さいよ。 とのメッセージであった。 一貫した柔和な姿勢は、無用に平和惚けの日本の国民、を敵に回したくない。との一国の長としての緊張した外交の手腕であろう。しかし在日コリアからの質問への言及は、もう少し突っ込んだものが聞きたかったが。 その日のテレビニュースを見る。北朝鮮一色。そして韓国の国民の間では、ノ・ムヒョン大統領が日本へ訪問の日にわざわざ日本の国会が、有事立法を成立させたのは韓国を見下してのことだ、との反応で韓国民の感情を逆なでしている模様。全くそうだと思う。日本政府としては、今回のノ・ムヒョンの来日は、有事成立で向えて帰国は万景峰の出港停止、で日本国民に印象づける方策であった、との感である。 しかし、ノ・ムヒョンは大きく構え、「北東アジア全体での、自衛権を考えていかなければ」との提案をしていた。韓国にとってはそうであろう。しかし、日本にとっては戦争というもの事態を放棄しないとならない、と思うが。 しかし何れにせよ、今回の訪問により日韓の絆はより強くならないといけないし、韓国にとっての日本の政治は、ある意味日本人が自覚している以上の、重要課題として位置しているのを日本国民自身が理解しなければならないであろう。
|
表現する徹底非暴力の反戦通信9私にとってのパレスチナは、人間の尊厳の闘いの輝きを失わない希望の象徴のような、なくてはならない地名です。そのパレスチナの、PLOのアラファトが姿をいつの間にか見えなくなり不穏だと思っていると、イラクの次の行動としてやはり(影の米国の肝いりであろうと私は思う)イスラエルは、潰す攻撃に入りました。 米国のイラク攻撃の後はパレスチナというのは言われていたとうり、注目を払ってないとならないとは思っていましたが、昨日今日のイスラエル国内のガザへのパレスチナ人居住地の酷い攻撃へと、急速な展開を見せています。世界地図から、パレスチナという国を抹消してしまうような事は、人類の暴挙と恥意外何ものでもありません。 イスラエルの今回の行動は、米国のイラク攻撃以降の米国の描いてきた図式に乗っ取ってなのでしょう。米国の「テロ」の言葉はイスラエルの「過激派」の言葉として、意味の中身を問わず、イメージのインプットとしての正義・不正義のふるい分けだけの、恐ろしいすり替えだけのレッテル貼りとして迫ってきます。フセインも化学兵器も見つからない今であるからこそ、只利害のためにだけにどんどん実行できてしまう、と言う恐ろしさとおぞましさは留まるところを知らない様相に、本当に立ち竦んでしまいます。 この日本は連日の北朝鮮問題での報道で、それも急な米国の展開に歩調を合せることに有利なように、マスコミに用意されたあらかじめの情報を予定調和に垂れ流しています。そして小泉は米国の意向を汲んで、急がされるままに国内での論議もそこそこに、その通りに国内を動かしていくのです。 確実に米国の狙い通りは事は進まない、と思いながらもその狙い、イラク→バレスチナ(中東)→キューバ→(朝鮮半島・日本)中国、と米国以外の形をとる世界観を狙って、捻り潰していくのでしょうか。 やはり私達はもっと、エネルギーを充実させた叡知でもって、自主・自決の視点で賢者としての連携を持ち、未来へ希望を繋げなければなりません。やはり恐れに打ちひしがれるよりは、前へ進むためには具体的な何か、をしなければなりません。皆と意識の持ち方への話しは必要ですし、緩やかでもしっかりとした繋がりが必要だと思います。 ●私は、反戦の企画の第2弾を、7/12・13に行います。 '03.6.13(金)
|
表現する徹底非暴力の反戦通信10昨日からのメタで始った反戦企画、出演の皆さまご苦労様でした。一回目の参加から引き続き二回目もの昨日の、表現で終わった、箕面チャンゴの会ヨロカジ、福本卓道ユニット、山本公成と私、三澤奈央でした。 ヨロカジのプンムル(「練り歩き」)の慶喜による、デモ。雨の中チャンゴも濡れるのも構わずきっちりとやってくれ、デモはさすがに少なくなっていた(30名ぐらい?)が、太田さんの講演前後で一番の多くて40名程強といった、まずまずの人数であったと思いますし、内容的にも面白かったです。 私はやはり、焦りが有ります。 在日として余りにも、日本への政治的発言を、介入ではないかと避けてきた事に対してです。しかし、昨日のような集りの中から少しづつでも、何か場の提供として領域を越えて集い会い語り会い共振し会い、が広がる様はやはりワクワクとして、やり甲斐を感じます。 今日はガムランで最後の一日を終えます。皆さん、雨ですが良かったら駆けつけて下さい。又詳しくは後日報告します。 03.7.12
|