表現する徹底非暴力の反戦通信16態変は11月3日より東京公演の開幕となり、じわりじわりの緊張感が押し寄せてきています。東京の方は天候どうでしょう? ●辻本清美の起訴、不公平の意見署名用紙が廻って来て、今皆に配りまくっているところ。 【今日の朝日新聞の衆議委員選挙に絡んでの調査を読んで】 ●衆議委員総選挙、今の小泉のままでは11月自衛隊派兵は国民皆で"賛成"そして郵政相民営化も"賛成"となるわけ? ○郵便局がどんな離島に行っても過疎の村にもある、というのはお年寄りなんかにとっては子や孫と繋がる心のより所では? と思う。地方の都会と切り離されていない、日常のパイプとして以外と占めている意味は大きいと感じている。地方に行く程の郵便局や学校の果たす、古い体質や権力構造は勿論変えないといけないことではなるが、そういった意味合いではなく今回のものは利潤追求の効率性の問題としてあるわけなのだから、過疎や離島での郵便局の存続は難しくなるのであろう。益々の地方潰しである。 ○今回の選挙ではやはり自民党の体質、米国の戦争中毒に完全に染まりながら、経済のグローバル化といい、地球規模での第三世界への窮地と同じような日本の中でも地方へのより経済の中央集権としてひっ迫させ、一極集中で格差と貧困層を図っていき、国民を弱肉強食の勝ち組・負け組の競争論理の駆り立て方ながら、一部の資本家が肥え太るだけなのを求めているのであろう。 ○そして何よりも大きく、永住権取得在日外国人の選挙権を認めない方向強しが見える。日本を非常に偏狭なものとして捉え、実際に経済的にも文化的にも日本社会の活性化として結果的に貢献度の高い私達永住外国人は、社会の沈め石として周辺に末端に追いやろうとのものにするのが明らか。 で、こんなところに政権取らせていたら、もう一度開戦も有りうるかも。 本当に、日本男児の徴兵制も有りうるし、もうそこまでの勢いではないか。 今回の選挙は日本にとって非常に大切な選挙で、韓国のような落選運動みたいなものが民でも水面下でも何でも、何で盛り上げないのかな?そんなにみんな、命が惜しい? 自分で勝手に恐がったり冷めたりして、縛らないでも良いと思います。できるところからできる範囲で、感じていることを伝えていけば。 戦争になるよりはましだと思うけど・・・ '03.10.30(木)
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表現する徹底非暴力の反戦通信17介護に来ている栗本から、以下のような動き出しの文が来ていたので転送します。 私にとって一番下の補足説明文、2・30代のリアリティーについて、あっ、そうなのか・・・とある意味、目から鱗、だと思いました。
【転送歓迎】この数日でできること! 9・11以降悲しみ怒り「戦争を止めたい!」と思い、また無力感に襲われた人へ 今度こそ一人の力で変化します。11/9(日)の選挙で「戦争はイヤ!!」と意思表示すれば、日本が人殺し国家の道をつきすすみ私達が徴兵や戦争協力させられるのを止められるかもしれない。流れを変えなければ数年後確実にそうなる。私はイヤです。 ★以下できること★ 1戦争を止めるためどう投票するか周囲と話す。考える材料はhttp://www.go2senkyo.jp/ http://meiyaku.loops.jp/など 2選挙に行く 3このメールを転送する 4自分の思いを友達にメールする ('03.11.6付け) ---------------------------------- ちょっと補足です。 >9・11以降悲しみ怒り「戦争を止めたい!」と思い、また無力感に襲われた人へ このくだり、当然ですが、なぜ「9・11」以降と書く必要があるのか?とメールいただきました。ごもっともな指摘で私もメールする前にだいぶ考えた点です。でもあえてこうしました。 なぜかと言えば、私の今回のアクションの対象は、主に2〜30代で、なにもきっかけがなければ投票に行かない可能性大の人たちです。その人たちにとってのリアリティをもって響く言葉とはなにか?を私なりに考えました。 この層のひとたちは、 でも、こういう人たちの一部が、あの9・11では少なからず動いた。デモに参加した。そして今は再び、デモに参加することの意味を見失い、あるいは無力感を感じている。だからこそ、あえて9・11を冒頭にしたのです。 「な〜にを寝ぼけたことを」とお思いの方も多いと思いますが、私なりの結論です。私の参加する市民運動のいろんなMLにもかたっぱしから流しました。この差し迫った状況で、それまでどのMLでも話題にもなっていなかったのが、私が流したことをきっかけに、独自に議員に質問メールをしてた人がいることがわかったり、話題になっただけでも意味があったかと思います。 まだもっと効果的なことないかと思案中です。とりあえず補足でした。
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表現する徹底非暴力の反戦通信18おめでとう!!!! いや〜、やっぱりめでたいですヨ。政治に直接投票で、自分の意志を現せられる日を持つということは、これは凄いこと! 私からは、永住外国人の選挙権は認めるところに、そして現行憲法の護憲のところに投票して、というのを、お願い! やはり自民が圧勝すれば直ぐ11月には、イラクへの自衛隊派兵はなるでしょうね。圧勝でなくても、もう既に決ってるの理由で行くでしょうが、派兵の数や次回の米国からの要請への回答が変化してきます。戦争させないところへ、少なくても、選ぼう。 今日の投票は、雨の為、前回に比べて下がってるらしい。なんで ? ? ? ? ?とにかく、選挙権は逃さずに、回りにも声掛けして時間の内に、行使しましょう!! 03.11.9
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表現する徹底非暴力の反戦通信19通信を読んでいただいているある方から、早々に といった感想が届きました。 やはり今の感想を言い合えるということで、読んで貰え返して頂けるこのリアクションが、一番何よりです。
ホンマですね。 社民党の情けなさ、友人の尼崎からの北川れんこちゃんも落ちちゃいました。辻本のことが事件ざたされたときから、社民潰しを企てられていたのはありあり。だけどそれに対しての社民としての対応が、私からみると後ろ手に回って、先手の一つが打てずに遅かったのでは? という思いがしますが、かろうじて潰されずに済んだのだからよしとするのか、は私には解りませんが。 間違いの情報への訂正は、中途半端にすると、返って足下すくわれるのかもしれないけど、違うんなら「違うんや〜、」と潰されても何でも、とにかく後先をかまわず、声を大にして言わないと、有権者にはサッパリ伝わらないと思うし垂れ流されている情報を信じるしかないもんね。後々に響きますよね。非常にその辺では村山が首相にまつり上げられた結果、国労潰しをしたときと同じように、今度は自民と公明に寄ってたかって上手く嵌められましたね、といった感じです。 余りのお人好しさに、これが日本の良識者という人達の、核心に迫られると当事者じゃないよと逃げて、お気軽あるいは人のせいにする、といった体質ではないでしょうか? と思ってしまいます。がむしゃらにならないのは、お上品なのか? と、人のせいにできない日本の危機的状況では、もう少し本気出してなりふりかまわず、戦略と一生懸命さのやり方の知らなさに驚きます。カッコ付けてられないのだし、今やらずしていつやるの、と思いますが・・・やはりお子様体質なのでしょうか? 辻本とか北朝鮮のこととか、完全に言い分はあるのでしょうが、今回の社民が取った方法は何か考えがあってのことか、全くなくてお手上げ状態だったのかが知りたいところですね。 しかしとにかく民主でも良いので先ずは、自民よりもイラク派兵反対と外国人の選挙権を訴えるところが、頭角を現してきたということは、日本の少しづつでも変化したいという本音が現れた数ではないでしょうか。後はもっと伸ばし、政策としての問題への監視ということになるでしょうが。そういう意味で今回の結果は、私は良かったのでは、と思っています。 しかし、公明党が伸びているのは不気味で、絶対に阻止していきたいことですし、少しづつの変化では遅いかも・・・という危ぐは確かにありますが。遅いんですよね。気付くのが。動き出すのが。 でも、来年の参議委員選もまだまだあるし、選挙が無くならないかぎりは、少しづつ兆しは見えてきているのですから、政治嫌いではなくもっと政治を引き寄せる為、日本の中からの国際人であり生活者としての民の政治に対する関心が、これまでと違う方向と参加とで広げていければいいと思いますよ。やっぱり芝居でも政治でも、人を盛り上げてなんぼ、のお祭りですから要は参加して楽しむことですよ。 03.11.10
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表現する徹底非暴力の反戦通信20雨も多いですが、ようやく秋らしい天気となってきましたが、皆さん如何お過ごしですか? 今だ、気分としては東京公演の余韻を残しつつ、12月の予定などを決めてなかなかゆっくりは、もうこの年では無理だなと(自分で、用事を作りながらだから)一人で諦めています。 そうです。私、この11月2日で50才になりました(なんと! 自分では、それだけの責任持てない、とこの年の大きさに、驚いています)。 情報誌イマージュの「金満里のページ」を29号執筆し終わり、今回は<身体論-政治と身体->としたのですが、これだけでは済まず、出るわ出るわで、私の日常の視点なんだなと改めて思ってしまいました。あんまり野放図に長くるとひんしゅくかも、と書き残したことを書きながら、やはりこの通信として続きを「身体の政治性」のタイトルで、載せようと思います。 //////////////////////// 身体の政治性 ● 土井たか子が、社民党の党首を降りるとの事。選挙結果の責任ということであるが、やはり寂しさはある。ご苦労様、と言いたい。女の党首ということが、政治の世界ではいろいろとあったろうし、福島瑞穂でこれからもあるだろう。これは甘さとしてではなく正当にやる事として、今後も見舞っていくしかないという気がする。 ● 米国のイラク占領を鼓舞する、世界へ流れた印象的な映像として、レイチェル・リンチの米軍による救出の映像があった。そしてこれは全くのねつ造であったということを、リンチ自身が軍隊をこの8月に辞めることでようやく本に出すことで、明らかになった。私は初めて映像が流されたときから、これは嘘、と思って見ていた一人である。だってね、軍隊という言葉には似付かわしくないような、小柄で凄く可愛い白人の若い女の子、ときていたから。これは始めから狙われて、配属されたかも・・・ぐらい思った。発端は、米国軍車どうしでの衝突、が原因でリンチは怪我してイラクの病院へ運ばれた、とのことなので。 ねつ造しての世界へのなりふりかまわない米国の、正義の使者作戦は、余りにもばかげていて見え見えなのだが、それでもやはり大半の世界の人は疑いもなくそのままの在りのままで流されてくる映像、を信じたのだろう。そして信じなくても、回数が増えるたびに、麻痺し流されて受け入れていくのであろう。それが民衆心理というものなのかも知れない。何に自分の心理は動いているか、そして何を身体としては現そうとしているのか。一枚も二枚もめくったところでの、他者の身体の形と心、そして受け止めている自分の身体の形と心、を幾層にもに渡って捉え返していかないと、在りのままでは真実は見えない。まさしく私が障害者として培ってきた、介護者との関係性における身体への捉え方が、身障者ではなくても自他というものの境界線と距離、そしてその見えないところも見ようとするところでの身体の形、といったものが心の形として見えてくるのである。 今日の朝刊には、米国政府の悪人ラムズフェルドの来日を小泉が迎える映像で、両者ソファーに腰掛け握手する姿であった。この映像は象徴的で、日本の米国に対する首根っこ捕まれている自虐的劣等感といった、これまでの日本人の大半が持つイメージとは裏腹のツーショットであった。 これまで米国のイラク攻撃後すぐに日本へやって来た、アーミテイジの名前も顔も強面のいかにもの厳つく微塵の媚も売らないといった高圧的な(実は親日家との言う事だが)、米国政府の要人とは違うイメージを映し出そうとするかのようなその二人。 ラムズフェルドはややソファーから身体を乗りだすかのように真っすぐに顔は、小泉の方へ視線を投げ掛けるかのように手を出し、片や小泉はそれを受けるかのように身体は答えてラムズフェルドの方へ、しかし顔は嬉しそうにしっかりとカメラ目線でこちら側へ。 この絵柄がまさに、今の日本人の精神性へ訴えかけようとする、図式として映る。正義なき米国イラク復興への膨大な資金と自衛隊派兵といった、米国の求めに応じての一連の日本の"支援"は、道義と道理のなさを自虐的劣等感を薄っぺらな"優越感"へと摩り替えようとしている、誤魔化しの瞬間としての絵柄として映る。 ラムズフェルドがここではアーミテイジのような太っちょではなく、少し心労がたたったかのような枯れた痩せ方でないと、やはり絵にならない。アーミテイジもラムズフェルドも日本では殆ど馴染みはなく、何の人? といった程度でしかないだろうが。 その印象において、格段に米国の日本への戦略を、変えてきているのは解る。しかし、この写真は確実に日本の方が優越感に陥る、可哀想な米国像である。それも「米国の大儀に理解」と言う、ご丁寧な小見出し付きで。 その奥には、何で、そんなに危険なまだ戦争状態にあるというイラクへ、自衛隊を出さねばならないのか。と言った国民の中から、政府小泉は国民に対し何の了承もなしに、それほどやはり日本は米国の言いなりにならないといけない立場なんだ、という徐々に膨れる疎外感と劣等感といった倍返しとてして来る感情、への日本政府側の伏木であろう。 これは昨日(2003.11.14付け朝日新聞)かに、大澤真幸(京都大学助教授-社会学-自由や責任と言った近代社会の基礎問題に関する独自な考察)が書いていた、=「疎外感」にも目を向けて=にもあるように、国民感情としてはそうとうなフラストレーションとして沈殿していると思う。イラクで自衛隊に死者でもでると、その我慢の限度は超え一挙になぜそんな危ないところと解りながら行かせた、の批判として自民への来年の参議委員選挙で表面化するであろう。 その事態に対して、今米国からは自衛隊のイラク派兵を迫られているのは、自民は実際のところ国民感情として反発は恐れている、そのような発展にならないようにはしたい為の一つの絵柄であろう。この図式、国民感情へ訴える効果は、自虐的劣等感を払拭させ<強い米国が、こんなに弱くなられて・・・とする、ある種の同情が優越感へと満たされていく>といった印象として、小泉の方が優位に見えるツーショットが必要なのである。 如何にもの小泉のお気楽なばか笑い顔が、そして米国側のカメラそっちのけで一身に頼みの綱のように手を握る様は、如何にも日本が優位に立っているかのような錯覚を与えるイメージである。 メディアによる、創られていくイメージ戦略が国家権力の手先になって、始まりだしたと<ふ〜ン、こう来るか・・・>と、今回の米国国防長官ラムズフェルドの日本訪問報道の一面の記事を、気持悪く見ていたのであった。 '03.11.15(土)
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