態変の転換点7

『虎視眈眈』=大テーマを扱える抽象身体表現


 2011年3月11日の東日本大震災・原発事故は日本社会全体を深刻に揺るがした。その年の秋に、態変旗揚げ以来の名役者・福森慶之介の末期癌という、態変にとっての大きな衝撃が走る。更に、態変の芸術活動を障碍者自立と位置づけ補助してくれていた行政の方針が換わり組織存続の危機が迫った。このように苦難の年になったが、福森のラスト・ステージ「一世一代福森慶之介 又、何処かで」を2012年2月にやり遂げ、その僅か35日後、震災から丁度一年目の2012年3月11日に福森慶之介永眠。彼の遺志を継いで態変存続のための自主運営体制を立ち上げ、そしてその年の10月に新体制で最初におこなった公演が『虎視眈眈』であった。
 このような状況の中での作品創造を、金滿里は「時代を背負い歴史を背負う一人の人間として悩み苦しみそれでも未来を掴もうとする、使命発見の旅のようなものだ」と述べた。(2015年の叙述)

 ここまで表現上の大転換をいくつも経てきた態変は、抽象身体表現でもって、社会へ、時代へ、未来へ、大きなテーマの発信を成し得る力を付けてきたのであり、いよいよその力を発揮する転換点を迎えたのである。

金滿里が語る『虎視眈眈』

  ※「2012年からの態変 『試験管』まで」IMAJU vol.58, 2015年 より 〔その全文は » こちら

 自主運営になった最初の公演が2012年10月「虎視眈眈」である。
 「虎視眈眈」は物語性に軸足をおきながら、観る側へはかなりの抽象性で迫った作品である。人間の生み出した文明は発達の末に破綻へと向かっている、という未来への直感で、人間を破局的退廃として描き、それに対峙する価値を、野生の本能を取り戻す動物の視点の獲得に求めた作品だ。文明の人間と野生の動物が拮抗するプロセス。それは創造と破壊の限りなく続く物語。どうしようもない諦めが底に張り付く洞窟の中で、それでも外の世界へ飛び出さないと死が待つだけの、傷付いた野生が虎視眈眈と外界を狙う最後の勢い、を希求した。それは、全てを喪くした無からの再生。有象無象の目撃の眼光によってそれはジッと凝視される、というエンディングであった。これはまさしく、2011年3月11日に起きた東日本大震災とその後の福島原発爆発事故での、放射能汚染の問題にぽつねんと置き去りにされた福島の動物たちであり、劇団の運命に繋がる姿であり、人間総体への生命の行方を凝視する問い掛けであった。

その後の展開

 原発震災は「人間は地球から・宇宙から必要とされているのか」という思考を金滿里に誘発した。『虎視眈眈』(2012年)に続く『ミズスマシ』(2013年)は人類滅亡後の記憶の伝承というテーマを展開し、観ていただいた方々には死体のイメージを刻みつつ生命への思考を誘発したようだった。金滿里ソロ『寿ぎの宇宙』(2013年)も死者たちとの対話を深めた作品。
 『Over the Rainbow -虹の彼方に』(2014年)は破壊され尽くしゴミ捨て場とされた地球に棄民された命たちのあがきと再生を扱い、『ルンタ(風の馬)-いい風よ吹け』(2014年)で「宇宙と人類は、いい方向で活かし合う信じる力、でしかない」というビジョンに辿り着いた。
 更にこの探求は『試験管』(2015年)で「殺し合うために使う科学ではなく、生かし合うための科学。試験管の中で起こる化学反応の結果を戦々恐々としただ待つのではなく、態変の身体でその模索を、やってみる」というところに至った。

 2016年に、起こってはならない事件が起こってしまった。「生きるに値しない命」という優生思想の狂信に囚われた男が障碍者収容施設に侵入し46人を刺し19人の命を奪ったという相模原市での大虐殺事件。
 奈落の底に突き落とされるようなこの出来事に、芸術は立ち向かうことができるのか。
 2012年の『虎視眈眈』から上述のように追求してきた思索と表現の練り込みは、そこへ立ち向かう力を態変に与えてくれていた。さもなければ、へなへなと膝を折って残酷なこの世の中に屈服していたかもしれない。
 『ニライカナイ ‐命の分水嶺』(2016年)で態変は相模原大虐殺事件に対する人間からの応答をやり遂げ、人間の生の尊さを多角的に追求する「さ迷える愛 序・破・急」三部作『翠晶の城』(2018年)『箱庭弁当』(2019年)、コロナ禍を挟んで『心と地』(2021年)を展開してきた。


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