弁天町から大阪港。時間があるので、「大阪築港赤レンガ倉庫敷地」の周辺をぶらぶら。道を挟んで大阪市営住宅、大阪市住宅公社の賃貸住宅や社宅など、団地が建ち並ぶ。去年AD&A(ギャラリー)に来たときはまだ住友倉庫から入ったかと思ったが、もう住友倉庫からは敷地は分離されている(大阪市港湾局の所有になったという。8棟の倉庫の向こう側に、海に向かって広い砂が置いてある空間もある)。
駅から公演場所までには、中に立ち飲み屋がある酒屋や八百屋、魚屋など庶民的な商店街があり、銭湯も大きそう。海の労働者の町だった名残か。
築港小学校に築港中学校(校外開放は生徒とPTAのみです、と貼紙)、公園(高潮被害を記憶するための石碑がある)でたこ焼きを食べていたら雨が降ってきて慌てて受付のレンガ倉庫のアームの通路に駆け込む。
大阪野外演劇フェスティバル参加、劇団態変「色は臭へど・」作・演出:金満里。
19:40〜21:00(5分間の紹介と最後に金満里が上手に転がって退場するまでを入れて21:05とすべきかも)。大阪築港赤レンガ倉庫敷地内「浪花グランドロマン」特設テント。
煉瓦の壁を見ていたり、煉瓦倉庫に囲まれた空間を眺めると、ここはかなりの創作意欲がわく異次元だと思う、でもなまじのことではこれに圧倒されるだろうけど。
見やすい館客席、ほぼ満員。後ろの方はもし雨が降ると強風のため濡れるかも知れないとのこと(実際は大丈夫だった)。16年前の想い出の作品「色は臭へど」。大きな物語ではなく、組曲のように
なって、でも最後が繋がっている。
五体満足優性思想を撃つ」という題材はシンプルでストレート(多分それ以来ずっとその題材を取り上げた思いは、底流として変わってはいないのだが、やっぱり処女作はかけがえのないものだ。野球の新人賞のように)。もちろん、役者の深化、作者の経験、そして新しい役者の登場と、16年前から比べたら大きな変化と成長の連続だったのもまた確かだろう。
劇団態変の舞台を見るのは、歌舞伎役者を観に行く心境に近いのだと今日思った。
それぞれの役者が今回はどう現われてくれるか、その個性ある姿と動きはくっきりと覚えているので、告白すれば一番の楽しみは、お芝居の筋書きそのもののや趣向よりも、ファンとしてまずは元気な姿に会えること。
そしてどんな緊迫したシーンを作ってくれるのか、あるいは、舞台終了後の挨拶でそのなごんだ表情に出会えるのか、それに一番どきどきするのだ。
とはいえ、今回もまた色々な発見があった。まず、旗揚げからの生え向き役者、リ・ウィミョン(李義明)の元気な姿が見れたこと。彼のソロ、独白のScene4「一世一代リ・ウィミョンの身世打鈴シンセ・タリョン」は、言葉は半分しか分からなかったが、それを発する顔全体、そして身体、左手の掌の強い開くさまは強烈。
孤独なベッドから滑り出して、上手に転がって進む姿は、劇団態変の原点の一つだし、そこには自己自身が表白されつつ、演劇という構造に大きく寄与していることを再確認する(ジャンルを無視した特別の集団ではないなんて、いまさら言う必要もないけど)。
新人にも期待が膨らむ。ファンキーな電動ダンスを顎だけで巧みに操った畑俊彦。Scene5では、かしこまった障害者による晩餐会の中だけに、その軽快さは鮮やかな対比を見せた。
藤山富士美は若い、言葉を何か発するか、と聞き耳を立てていた(Scene7「月夜の呪文」)、的川哲也のようには声を出していなかった、出せないほどの心の葛藤が、小泉ゆうすけのうなりに感応して起きていたのだろう。福森慶之介のフルートがまた実にいい。
福森慶之介といえば、エンゼルの羽をあっさり、木村年男との絡みで落としてしまう(Scene3「善悪愛憎」)。木村年男のすばやい足の交差が、三味線の軽妙さによって倍増する。そこにある言葉なんてふっとでしまう激しい感情が、いつしかある融和点を求めるようになる。そういうことが音と動きで表わされうることに驚いてしまう。
Scene2「手の怒り」は、これは小泉ゆうすけの最も核心の部分を告白し昇華し、しかも風化させずに止めて行く集中力を感じさせてくれたシーンだった。上半身裸。背中の首の下のこぶもあらわに。
足を使わず、転がるときも彼の腕=手を客席に向けて、その障害をクローズアップし、腕を広げゆっくりと私たちに向き合う。と、素早く激しい拍手、その音が聞こえる。
客席に降りて、前の客の頭に手を置く。よくは見えなかったが客の手を触る(握る)こともしたかも知れない。下手に素早く引っ込んだ姿が何とも鮮やか。
金満里は、冒頭のシーンで、すっぽりと白い網に覆われて転がって出て、胎児であり顔は白くピエロの化粧。舞台美術は風船と風でなびくシーツ、客席の荒い網。実にシンプルな装置。
途中にベッドやテーブルが用意されるが、一番の視覚的要素は役者の障害をそのままはっきりと提出した肉体であり、その動きの強さ、難しい難行エネルギーを形にすることで得られる劇団態変でしかない見られない世界そのものだと思う。
井上朋子が帽子をかぶっておすましして食事をしていたと思ったら、次のシーン(Scene6「舐める身体」)では、赤に近い髪の毛で登場した。オレンジの布団を揺らす執ような行為に何があるのか、的川哲也と住田雅清がそのうち、足と手にそれぞれ孔雀の羽をつけてもらって、客席へと挑発することが出来たのに対して、彼女にはどんな思いがそこにはあったのだろうか。
Scene8の「破壊と再生」では、井上朋子、小泉ゆうすけ、福森慶之介が立ち上がれる優越者として、木村年男ら転がる4人を足げにしたりパンチしたりしていたが、そのうち立ち上がれる者同士の争いでみんなくずれてしまい、そのままいつしか静かな疲れがやってくる。
そして、最後の「誕生」へ・・・ばらばらに寝転がっている者たちが次第に集まり、人と人が重なり合い出す。このシーンは最も障害者としての集団の造形美を最も強く主張できるもの。激しい浪の音、沸騰するような泡立ち、揺らぎ解け。
やがて客席へと一人二人三人と落ちてゆき、客席に強烈な赤い光りが照らされる。
小暮宣雄
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