生命感溢れる劇団態変の身体表現だといえる。
しかしそれは、死を内包する身障者の身体だからこそ、逆から来る命そのものが宿っている、からだと思う。
『喰う』という貪欲で生々しいタイトルを今回選んだのは、そういった態変の生と死の狭間の身体表現でこそ、死の側から『喰う』を表現していきたいと思うからである。
未来へ対し展望の描けない時代に来て、食うをめぐり熾烈な人間エゴが潜在化するし、既に顕在化もしている。
食物の争奪戦に生き残れないだろう、我々障害者側からの恐怖が実は底流にありながらこその、無欲に死に近い『喰う』があっても良いのではないか、
というもう一つのリアリティーを私は持っている。
それは空想での空を、色即是空の喰うを空とするような、無なる存在へ近づきたいとする願望と共にあるものとして。
止むに止まれぬ追い詰められた者の、返っての優雅さでもって、食わない『喰う』の表現があっても良いのではないか、
と現在的危機感を未来へ放つものに替え提示する夢想がここにはあるものとして。
金満里