態変の転換点3

『山が動く 劇団態変&大野一雄コラボレーション』=跳躍へのきっかけ


金滿里が語る『山が動く』

    ※「異風堂々 --金満里が語る劇団態変20年史--」IMAJU vol.30 2004年 より 〔その全文は » こちら

 アスベスト館の土方巽さんの奥さんの元藤燁子さんと大野一雄さんと私とで東京でワークショップの指導をすることになったんです。そこに役者も連れていったのですが、その時の大野さんの態変の役者に対しての興味の持ち方がすごかったんです。寝たっきりの木村年男の側にびったりとくっついて離れない。身体の表現に対し、子どもの様に素直な好奇心を示されるのに驚いた。教えるときもラクダのパッチとラクダのシャツで、胸をハサミで切りっぱなしのままで大きく開け、手には花一輪かざしただけで絵になり、稽古を付けるんです。形から入っているんじゃないんですよ。それ見てたらこの大野さんはただ者じゃない、なにか絶対得るものがあると思って、こちらから電話をさせてもらって。「一緒にやりたいんです」っていったんですよ、そしたら二つ返事で。電話の向こうで「いいですよ、いいですよ」って。魂の出会いですね(笑)。
 『山が動く』が一回目で、二回目のときに『宇宙と遊ぶ』。その二回目のときに大野さんが『わたしのお母さん』を作品の中でやりはったんですよ。『わたしのお母さん』はすごかった。どちらかと言えば最初の時の方が態変の勝ちというがあって(笑)。でも、二回目は大野さんの『わたしのお母さん』がすごかった。ニ回目はそれぞれの作品を持ち寄って作ったんですよ、態変の持ち時間は態変だけがやって、次に大野さんだけがやって、その後で一緒にやるという、三部作形式なのですが、大野さんは自分自身の一番の最高作を持って来てくれました。大野さんが、マリアさんのようになってなにか被るんですけど、その時に衣装が端まで魚の鰭になるんです。大野さんの持論なのですが、大野さんのお母さんが亡くなる時のことを、「ヒラメの様に地面に着きながら跳ぶ瞬間というのは、力一杯だけど静かに、一身を瞬間に賭て、地面を持ち上げるようにして」それほどのこととして一身に踊るんだよと言ってくれた、というのを現わすところです。マリアさんの服の端が本当にヒラメの鰆みたいなんですよ。それが本当にすごかったです。そんな細部にまで魂が入っていくのが実感できた。大野一雄先生と出会ったことで、すごく成長させてもらったと思います。これがなかったら、私なんか、結構世の中を舐めていたのかもしれない(笑)。


その後の展開

大野一雄のソロの凄みに触発され、重度の役者の演技をきっちりと見せたいという意図で、同年9月に『霊舞〜地中花』と題して、座りっきりの松葉さとみと寝たっきりの木村年男の二人による30分づつのソロ作品を発表。
翌年1995年1月17日の阪神・淡路大震災をくぐって、いよいよ魂の表現をしなければと『ダ・キ・シ・メ・タイ!!』というエポックメイキングな作品を創り、また一方で、1998年に金滿里のソロ『ウリ・オモニ』へと連なった。


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