態変の転換点4

『ダ・キ・シ・メ・タイ!!』=抽象身体表現が感情と出会う


身体障碍者の身体・動きのインパクト・存在感を身体表現として提示しそれで宇宙を表現する、というだけに留まるのでは、それは所詮「形」を提示していることに過ぎないということを、大野一雄さんとの出会いによって思い知ることになった。
「形」には「魂」が伴わねばならない。「魂」から引き出されてくる「形」だからこそ観る人の心を打つ。そういう追求へと導かれた態変が、おりしも1995年1月17日に起こった阪神・淡路大震災の衝撃を受け止めつつ結実させた作品が『ダ・キ・シ・メ・タイ!!』であった。

金滿里が語る『ダ・キ・シ・メ・タイ!!』

  ※「異風堂々 --金満里が語る劇団態変20年史--」IMAJU vol.30 2004年 より抜粋、加筆 〔元の全文は » こちら

 『ダ・キ・シ・メ・タイ!!』は1995年、阪神大震災の年の作品。震災が起こり、沢山の人が亡くなりました。なにかしなくてはという、駆られるような気持ちで創った作品です。
 私の友人にも死んだ人がいます。その人は青い芝運動を抜けた私に生前に娘を合わせに来てくれた。彼女へのお悔やみと、残された愛娘への捧げでもあった。震災の受難を障碍者はより深刻に被る。障碍者の日常に潜む差別の無念をあくまでも徹底的に抽象表現にした、出会い直しと鎮魂を込めました。

 『銀河叛乱』からの作品の流れの分岐点になった作品だと私自身は思っています。精神世界というか夢の中の世界と現実の世界との接点=繋ぎみたいなことができた作品です。表現は、ユングの夢心理分析のようなシーンから始まりそこから降り立つようにして、展開しました。
 態変で追求してきた抽象身体表現が感情を取り込み、抽象身体で表現する感情が、抽象身体をより高い境地に持ち上げていくという手応えを掴みました。


その後の展開

1995年5月に大阪で初演した『ダ・キ・シ・メ・タイ!!』は、縁に恵まれて9月東京、10月名古屋、11月長野、と公演ツアーに取り組むことになった。その勢いで、翌1996年から欧州への進出を試みることになった。
1996年8月に、エジンバラ・フェスティバル・フリンジ'96(スコットランド)に『BLOOM』を携えて参加。
この『BLOOM』についての金滿里の語り(※「異風堂々 --金満里が語る劇団態変20年史--」IMAJU vol.30 2004年 より)

 『BLOOM』くらいから、伝えたいメッセージというものを意識しだしました。花が咲く瞬間というのは、昆虫と花の例えでいうと、昆虫をおびき寄せるために花はいろんな色で咲いたり、匂いをだしたりして、昆虫が花粉を持っていてくれるかどうかという一瞬に賭ているんですよね。花が咲くという、一瞬の行為の元に壮絶な戦いが繰り広げられている。花という結果よりも、戦いのプロセスの方が大事なんや、結果よりもプロセスという、私の価値観を提示したかったんです。
 メッセージ性を強調したのは、やはりヨーロッパ公演を意識してのことです。ヨーロッパでは、良くも悪くも東洋的な曖昧な抽象性が伝わらない、「そら、やっぱり分からんわ」で終わってしまわれる危険性がある。それは辛いことですよね。海外公演では結局なにが伝わったのかということが大切ですから。

 翌1997年の『死靈(Departed Soul)』は、エジンバラ・フェスティバル・フリンジ'97で2週間にわたる上演をし、そこからスイスのベルンに飛んでダンスフェスティバル「第11回ベルナータンツターゲ」招聘公演で「今日、ベルンで革命が起こった」と言われるほどの大絶賛を受けることができた。

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