態変の転換点6

『マハラバ伝説』=抽象身体と物語・人物描写


 ベルリンから2001年9月の「アジア太平洋週間」にて公演をしてほしいとの招聘があった。上演演目を考えるに当たって、1997年に「ベルナー・タンツターゲ」で『死霊』が絶賛された際にこのダンス祭典の芸術監督から貰った助言「芸術表現では、情報伝達とは形式と内容の関係が逆転します。内容を伝えるために形式が奉仕するのではなく、形式の芸術性のために内容を奉仕させます。態変の身体の素晴らしさを伝えるには〈乗り物〉になる内容を考えてみてはどうか」を考慮し、〈物語〉に沿った身体表現という構想を立てた。
 そこで選んだのは、隔絶された場所に逃げ込んできた者たちのコンミューンの成立と崩壊の物語だった。

金滿里が語る『マハラバ伝説』

    ※「異風堂々 --金満里が語る劇団態変20年史--」IMAJU vol.30 2004年 より 〔その全文は » こちら

-- 『マハラバ伝説』はかなり自伝的要素が濃い作品ですね。

 『ウリ・オモニ』 で、私のひとつの体験に対して、母親という抜き差し難いものを題材にするということで向き合ってみたのですが、『マハラバ伝説』もまた、自分のやってきた運動---障害者運動が挫折したことで芝居を始めたのですけど---挫折した障害者解放運動へのこだわりということを清算しよう、自分なりに落とし前をつけようということで創った作品です。実際に存在した障害者だけのコミューンが崩壊する物語です。『ウリ・オモニ』以降、一つずつ落とし前をつけていっているような感じがします。悶々として、混沌としている自分の中の整理が就かないものを、抽象的な形で取り出し、身体で考えるというプロセスだったと思います。

【註】「マハラバ村」という脳性マヒ者のコンミューンが1960年代に茨城県に実在し、それが金滿里も加わっていた「青い芝の会」の障碍者解放運動に繋がっていった。

その後の展開

 『マハラバ伝説』はベルリンで絶賛を受け、その後日本の各地と2005年にはTheater der Weld(シュツットガルト)招聘公演と計7回の再演を重ねた。
 それに続く「物語性」を取り入れた作品は、2002年『夏至夜夢』(シェークスピア『真夏の夜の夢』)、2003年『碧天彷徨』(障碍者収容施設から脱走した二人の少女のロードムービー)、2005年『記憶の森 --- 塵魔王と精霊たち』(呆れ果て楽しめるファンタジー作品)、2006年『ラ・パルティーダ〜出発』(チリのクーデターで惨殺されたビクトル・ハラの物語)、2008年『すがた現すもの』(チェ・ゲバラの半生記)、2009年『ファン・ウンド潜伏記』(朝鮮独立運動をし日本での潜伏を余儀なくされた金滿里の義父の物語)と、言葉を全く使わない抽象身体表現で歴史を生きた人物描写を成し遂げるところまで辿り着いた。

 これら「物語」を持つ作品は、マレーシアで現地の障碍者を募っての上演『Hutan Kenangan(記憶の森)』や韓国で現地エキストラ障碍者を大勢巻き込んだ『ファン・ウンド潜伏記』においても別の意味で力を発揮した。

 これら「物語性」の作品の合間に、純抽象回帰の『帰郷 --- ここが異郷だったのだ』、エーリッヒ・フロムの社会心理学の本をそのまま身体表現にしてしまった『自由からの逃走』に取り組んだことも特記しておく。


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