態変 in マレーシア プロジェクト
2005-2007

photo: Chen Wee Ling

Hutan Kenangan
photo: Chen Wee Ling

「態変 in マレーシア」プロジェクトとは何だったのか?
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「マレーシアの障害のある若者たちと芸術活動に取り組みたいと思っていた。態変の表現を見せたい。金さん、マレーシアに来れますか?」---態変の小さな事務所に訪れたマレーシアの民間劇場Actor's Studioのジョー&ファリダ夫妻は、熱っぽく語った。当初からその目的で訪ねてきたのではない。1時間ほどの話の間に互いの芸術観に触れ合うものがあり、一気に盛り上がり、このような発言に至ったのだ。

数ヶ月後、マレーシアの国際交流基金から企画を実行したい、との連絡が入り、1年後には視察とワークショップのためマレーシアを訪れた。そしてActor's Studio と国際交流基金の共同企画として「3年計画マレーシア身体障害者・身体表現公演プロジェクト」が立ち上がり、金満里がその表現指導と公演演出を行なうことになった。いつしか「態変 in マレーシア」プロジェクトと呼ばれるようになり、3年後にはマレーシアを代表する現代演劇の劇場の一つで、マレーシアの身体障害者たちが金満里と共に舞台に立ち、作品「Hutan Kenangan (記憶の森)」を上演した。

最終的に舞台にあがった役者は8名。だが役者決定までの2年間のべ**回のワークショップで出会った現地障害者は100名を超える。舞台裏を支える黒子は人数確保が難しかったが、*名が参加した。日本からの訪問は3年間で計6回。最後の訪問は仕上げの稽古と公演本番で5週間に及んだ。

新聞雑誌の掲載数は類をみないほど多く、3日間の本番公演は大勢の観客が来場、連日大喝采・大好評で幕を閉じた。

さまざまな理由で実現するのが難しい国際共同企画において、この企画が大きな成功を収め実施されたことは幸運であったのは間違いない。しかし、ただ幸運というだけでは片づけられないほどの、関係者の途方もない努力と手間と知恵と忍耐があったからこその結果だったと思う。このプロジェクトは、異文化も異文化ーマレーシアの多民族性に加え、障害者のペースを基準とする態変の創り方。障害者を取り巻く環境も考え方も日本とマレーシア、さらに民族間で異なる。二重三重に文化が重なる。そんな五里霧中を進みながらも、どういうわけか、メンバー全員がこの企画と我々の表現を観てもらわなければならない、という信念のようなものに突き動かされていた。

その信念は、初めからあったわけではない。3年間の作品づくりの結果、舞台上で繰り広げられた作品の裏側に、そのような信念が醸成されていったのだろう。単に障害者が舞台に上がればOK、という記念行事的な企画では決してなく、この企画には革命的な意味が込められている。そういう信念のようなもの。素晴らしいことに、それは幕が降りても消えることはない。現に、マレーシアの役者たちの心には確かに根づいている。そして、いつか、さらに次の芽へと飛び広がることを願う。

本ページはこのプロジェクトの詳細な記録である。劇団態変側の資料を元にしているので、現地での進行内容はあまり掲載できないことを了承いただきたい。