態変 韓国プロジェクト
2009-2011
photo by Kohji Fukunaga (studio epoque)

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劇団態変・韓国公演プロジェクト報告

 ファン・ウンド(黄熊度)は劇団態変主宰・金満里の義父にあたる人物で、韓国慶尚南道固城に生まれ、日本の植民地となった祖国の独立のために闘い、度重なる投獄の末、生命の危険に晒され日本に潜伏した。その日本では韓国の伝統芸術を上演する劇団を創立し祖国の芸術精神を日本に広めた。そして戦後に日本の地で客死した。

 金満里は、固城への取材旅行で、固城の文化、風光明媚な風土がファン・ウンドという人物を産み、育み、彼の人生を方向付けたと確信した。そして彼のために作品を作り、作品とともに彼の魂を故郷に返したいという考えのもと韓国公演プロジェクトが立ち上がった。2009年秋に大阪での初演以降、韓国プロジェクトと名付けられたこの企画は、足かけ1年半、計9回の渡韓を経て、2011年3月、韓国ソウル・固城の2都市で大喝采の中終演を迎えた。

◯態変の先端的芸術を妥協無く韓国で上演する
◯韓国の障害者がエキストラとして出演
◯韓国でスタッフ(黒子)募集
◯韓日の未来志向の交流

 上記はこの企画の四本柱である。「障害者が自宅や施設から這い出して、舞台に上るまでのプロセスも含め芸術である」という劇団態変の活動スタイルと、日本で培ってきた障害者・健常者の芸術を介した真の協働を韓国にも伝えたい、そしてこの日韓協働のプロジェクトにより新たな渦が巻き起こり、新たな文化が創出されることへの期待を反映して作られた。キーワードは『越境』。

 プロジェクトの始め、韓国の有識者や舞台関係者に企画の意図を伝えると、「韓国には『身体障害者による先端的芸術』を受け入れる土壌が無く”障害者が”やっていることという枠でしか捉えられないのではないか?」というネガティブな意見が多く寄せられた。これには大きな不安を感じずにはいられなかった。
 しかし若い世代からは、「先端的であるからこそ面白く、やってみる価値がある」と積極的な意見をもらえ、それに勇気づけられ、結果的に、一切妥協せずに態変の芸術性を追求し、我々の目論んだ『越境』を深い所で達成出来た。

 エキストラ出演の障害者発掘には、現地の障害者自立支援組織から多大な支援をいただいてオーディションが実施でき、またノドゥル夜学校との出会いによって、芸術から最も遠い所で生きてきた障害者の参加という一段と意義深い成果につながった。結果的には韓国からの8人の出演者が一人も脱落せずこのプロジェクトをやり遂げ、質の高い身体表現を達成した。参加した障害者自身にいかに大きなものが残ったかを雄弁に語る文章を、出演者の一人に書いてもらうことができた。(パク・チャンウの文章参照)

 エキストラ出演者には目処がついたが、黒子募集については全く手がかりさえも掴めない状態だった。また、韓国現地の受入れ組織(韓国側実行委員会)の立ち上げも難題であった。
 その二つの難題を一気に解決するまさしく幸運としか言いようのない出会いがあった。第二回渡韓に出発する直前、金満里の友人である※上野千鶴子先生が、延世大学教授でハジャセンター創設者のチョウハン・ヘジョン先生を紹介して下さったのだ。そして、第二回渡韓で行なわれたワークショップにハジャ作業場学校のヒオックス先生が学生10名を率いて見学に来られ、その場で黒子としての参加を申し出てくれた。さらにヒオックス先生は韓国側実行委員会のまとめ役も引き受けて下さり、以後プロデュースの面ではハジャ作業場学校との二人三脚でプロジェクトを進めていくことになる。
※上野千鶴子=うえの ちづこ、社会学者。元東京大学教授。専攻は、家族社会学、ジェンダー論、女性学。(イマージュ38号対談参照)

 ハジャの教育方針の一つである徹底的なディスカッションが、この態変のプロジェクトでも重ねら、彼らの真摯なディスカッションの積み重ねと稽古での思索の一端が彼らのレポートから伺える。(黒子ドンニョン、ホンジョの文章参照)

 韓国公演では連日予想を超える観客が訪れたが、本企画の価値は、単に観客動員や、興業的面の成果に留まらない。本企画の趣意は、巻き込まれた参加者の主観的変化も含めてのものであった。「全く接点がないと思っていた人々がそれぞれ違った形で」本企画を通して出会えたこと。ファン・ウンドという人物を中心に、韓国エキストラ・ハジャ黒子・その他大勢の協力者、本来出会うはずがなかった人たちが出会い、ファン・ウンドの魂を里帰りさせたいという思いを共にツアーの最終目的地、固城の地を踏んだ。
 態変の先端的な芸術が韓国で受け入れられるのか? という不安や、日本とは比べられない程の生活の困難さを抱える韓国のエキストラ障害者の現状を前に様々な葛藤を抱えながら、1年半という長い準備期間と、韓国側参加者との試行錯誤の末、ファン・ウンドは台本から立ち上がり、固城なまりの韓国語をはなし、固城の町を闊歩していった。固城公演では予想をはるかに超える観客と鳴り止まない拍手で受け入れられ、ファン・ウンドは故郷固城にしっかりと受け入れられ、その場で再演のオファーをいただくという最高の形で終わりを迎えた。

 韓国公演の為には、本当に多くの方々にご協力していただいた。皆様のご協力がなければ、この企画は実現出来ませんでした。この場をお借りして皆様にお礼申し上げます。

制作・金里馬


※この文章は3月公演終了後に制作の金里馬が執筆し、情報誌イマージュvol.51に掲載された文章に一部編集を加えたものです。3月公演終了後、韓国側との話合いを持ち、9月公演に発展しました。


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